座持ち
2008年 06月 19日
何人かそうした人を知っている。
飲むと楽しい。
私も座持ちはいいほうだ。
飲み会などで場が盛り上がるよう自然と体が動く。はた迷惑かどうかはさておき、そうしたことが苦もなくできる。
しかし。
それだけではいけない。意識しないままだと「座持ちのよい人」でずっと泳ぎ渡ってしまう。
そして、その生き方は空しく孤独だ。
座持ち。そこにいる皆が楽しく過ごしてもらえるように明るく振舞う。そのために気の効いたことを言おうとする。パフォーマンスをする。
が、日常において、仕事においてもそれを続けているなら、そうと気がついたら、やめなければならない。
なぜなら、それは時に調子よくなってしまったり、相手と迎合しているかにみせて実は拒絶していたり、計算高く見えたり、軽く見られたりするからだ。
何より、意思決定に支障をきたす。
相手を喜ばしたい、場を盛り上げたいという気持が相手に利用されることもある。
利用する側は座持ちのよい人の意思決定の詰めの甘さをどこかで吸血鬼のように嗅ぎ取っている。そして、そのような吸血鬼はそうしたワキの甘い人間を見つけるや、トリモチのようにくっつき、自分の養分にしようとする。
そのリスクを回避しなければならない。
従って常時、座持ちのよい人であってはならない。
ビジネスに座持ちのよさを過剰に持ち込むべきではない。
過剰な言葉やパフォーマンスでなくても目で見て耳で知ることにより心で対することができる。
自分の心に嘘がなければ的を得た意思決定が可能になる。
場や相手から発信されてくる波動で浮かび上がってくる自分の心、魂からの信号を静かに感じ取る。それこそが本当に自分が知りたい答なのだ。
相手を喜ばせたい、引いてはそんなけなげな自分を誉められたいということに気持が向くあまり、そのせっかくの機会を逃してしまうのは実にもったいない。
by yoshi-aki2006 | 2008-06-19 08:55 | スタディ | Comments(0)