2018年 06月 06日 ( 1 )

 

人の価値は「その人のいない世界」で定まる


ある公共の場で向こうから私をじっと見ている女性に気が付きました。
懐かしい顔でした。

以前、交流のあった人の部下の女性。人柄がよく、応援していた人です。

「わお、久しぶり!」

懐かしいはずです。20年ぶりくらい。
「××さんは元気?」と彼女の上司の名前を口にすると
「それが、昨年亡くなったんです」といいます。

あー、××さんが私たちを引き合わせたんだな、と思いました。
××さんは自分が亡くなったことを彼女を通じて私に教えたかったんですね、きっと。

で、ひとしきり、××さんの話になりました。

「人は亡くなって初めて自分の評価を知るんだな」と思います。

××さんは美人で素敵な人ではありましたが、ものすごく嫉妬心の強い人=裏返せば自信のない人で、「自分が一番」を維持するためになりふりを構わないところがあり、肉親だろうが他人であろうが、どうでも自分ファーストをごり押しするところがありました。それが魅力といえば魅力ですが、そのためにずいぶん迷惑もこうむったなあ、と数々のディテールを思い出しました。

××さんの意中の人が私の身なりをほめたといって、突然、私の家に真っ青な顔して乗り込んできて、勝手にバーっと上り込みドレッサーに突進したと思ったら、化粧品名を逐一チェックしたり、当日着ていた服を見せてくれと、強制したり。

うるさいので、ある程度は聞いてあげましたが何でもかんでも人のプライバシーに首を突っ込んできて、ほとほとげんなり、というのが本当のところでした。
だから、亡くなったと聞いて、特に感想はありませんでした。

すると、わかったんでしょう。「ワタシ、亡くなったのよ。知って知って」とせっついていたようなシグナルのようなものがすーっと引いていきました。

自分の本当のところの他人評価を知って、私からは何も手向けてはもらえないと感じたからだと思います。
亡くなってすぐは意外と肉体に宿っていた魂のようなものは現世をさまよっているのだろうと思います。

全く偶然にとてもお世話になった人の死を知ったことがありました。
亡くなった当日、「俺、死んじゃったんだよ」
という声をすぐそこで聴いた気がしました。その時は亡くなったことなど知らなかったので気のせいだと思いましたけどね。

亡くなった時刻頃、夜、コンビニに行こうとしたらずーっと私の後をついてくる何かの気配があり、何度も振り返りました。不思議だなーとも感じていましたがこの時も亡くなったことは知りませんでした。

ほかにも、実にさまざま、いろんなシグナルを受け取って「まさか」と思って調べたら亡くなっていたということがありました。

とてもお世話になった人だったので心から手を合わせて傷みました。

たぶん、そういう他者の祈りや思いはその人に宿っていた魂の次の展開の栄養になるのだろうと思います。次の「生」のようなものがあるとするなら、より、その人にあった場所、人、などに生まれ変わってくるのだろうと思います。

自分がいなくなったとき、「ああ、あの人にはお世話になったなあ」「ああ、あの人に救われたなあ」という気持ちを持ってくれる人がどれくらいいるのか。

自分のいない世界で自分の人生をきっと知るのでしょう。

そう思えば、この世で人を泣かしたり、いやなことをしてはいけないとつくずく思いますね。情けは人のためならず。

亡くなった時に人の価値は定まるということを念頭に日々、生きていきたいですね。

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長崎のランタン祭り。
お盆もそうですが、懐かしい人との再会を願う心がこうしたお祭りや行事に込められているのでしょうね。
懐かしい人に会うためには、この世での生き方が大切なのだと思います。




by yoshi-aki2006 | 2018-06-06 14:23 | シンキング | Comments(0)