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4割のバイヤス~油断禁物の法則

人は他人のことを実際よりも2割、ネガティブに見たがり
自分のことは実際よりも2割、ポジティブに見たがるそうだ。

ということは4割バイヤスがかかっているわけですね。

人は老けてみて自分は若く思う。よくありますね。「私50歳」と年齢を明かす人に「うわー、お若い」といいながら心の中で「年の割にはすんごい老けてる」と思うみたいな。

行動では「こんなことくらい平気だ」と思ってやってしまうのだけど4割のバイヤスなので人からは「とんでもないことをしている」と見られていることになります。

なんでこんなことを思いついたかというとある男性が年下のいけ好かない奴にいちおう仁義を切ろうと名刺をさしだしたそうな。

するとその若造は鼻先でふふんと笑い、名刺もくれなかったのにもかかわらず、翌日から商売のための販促ツールはきっちり配信するようになったのだという。

そんな奴、そのうちドツボにはまるよ。見ててごらんなさい。
私は彼を励ました。

された側とした側には4割の法則が横たわり、それが倍返しで返ってくる怖さを知らない。
いいことをしたら幸せが、そうでないことをしたらそうでないことが不思議に返ってくるのがわからない若造の未熟さを笑いなさいと。

そういえるのも、そういうことは私もされたことがあるし、自分も同じようなことを人にして、双方の痛い経験から学んだからです。

人はしたことは忘れてもされたことは絶対忘れない。
これが4割のバイヤスの怖さです。

私の場合、今でも、したことは忘れてもされたことは何年前のことでも思い出しますね。

そして、なんであの時、「名刺返してくださいよ。あんたみたいな自分の名刺も切らん奴に名刺代が惜しいわ」といって名刺を回収しなかったのかと今も生きている二人のおっさんに煮えたぎります。

もっともその時、私にも落ち度がありました。
一人目の人は政治家にさえ失礼に対応するあの人で、こちらは駆け出しの20歳前半。フンてな思いで軽く思われたんでしょう。なんであんな失礼な人が四半世紀以上もテレビに出続けているのかというとマスコミの人には徹底的に謙虚だし、尽くしまくるからです。つまり、彼はだれが顧客かよくわかっている。
その点で出演者ではあっても観客に真に人気のある人かどうかは疑問です。そうしたことになにくそという思いを喚起されたので、恩人といえます。

大証券から大学教授に転がったもう一人は大学教授という経歴ロンダリングがああした尊大な態度になるのだと気ずきました。外資系の帰国子女にはモミ手ですりよる卑屈さも観察させてもらえ、けっきょくああした経歴の人ほど「尊大な人」ぶるのだと気が付いたので、これもそういうことを気付かせてくれた恩人です。

「ね、あなたに名刺も切らずに販促ツールだけ送りつけてくるその若造も何が本業かわからん、そのくせ、尊大にふるまっている奴でしょう」

と彼に聞くと、得心していました。

「こんなことくらい平気だ」は四割バイヤスの倍返し。
資産運用にもなんにでも通じる油断禁物の法則です。

by yoshi-aki2006 | 2011-06-11 12:31 | 人間考察 | Comments(0)  

人を褒めない人と褒める人の違い

人を褒めない人と褒める人には違いがあるなあ!

口を開くと否定語をいう人と肯定語をいう人にも違いがあるなあ。

人を褒めて自分も努力して、だから人も肯定できる。そんな気がする。

人を貶して、自分は虫のいいことを考えて、それに連なられては利害が生じるとばかりに人の批判をする。そういう人になりたくないなあ。人のふり見てわがふり直せ。
つくずく、そう思った。そう教えてくれる反面教師の役割をしてくれるのは圧倒的に旧態依然としたサラリーマンの人だ006.gif 
人生を勝ち負けでとらえて、しかも負け方に逃げ道があるからかな。
地位では負けたけど、××では勝っているとか、そんな発想に長くいるとねじくれていくのかな。

いい人生の送り方ができるかどうかは会社の優劣では決まらないし、地位や退職金の額でもない。
人と自分が同じ時間の流れ方をしているわけではないと知ることも必要だ。


付き合うと運がよくなる気がする人は圧倒的に人を褒め、自分も努力し、人を肯定している。そういう人は自分が前向きに生きていくことに一生懸命なので、人を頼ろうとか、だしにしようとか、寄らば大樹の陰のような発想はしない。

付き合うと運が悪くなる気がする人は人を貶し、口を開けば「あれは大したことがない」と嫉妬深い発言によって優位に立とうとし、自分は大好きだけれど、人はどうでもいい人だ。

同世代でガーンと生きている女性がいて、「強すぎるかも」と思うこともあったけれど、彼女の生き方に今、強く共感を覚える。慣れ親しまず、いつも人には初心で接し、何物にも付け込まれない彼女の生き方。

その人は押しも押されもしない実力者。
強さの源泉は日々の努力のたまものだ。

彼女の強さに改めて、教えられる。
私も日々、技量を磨く努力をしっかりとしなければ。
水あめみたいな人のるつぼにからめ捕られて動けなくなってしまうアリンコなんかにならないよ。

そうだ、フリーは一打一打が勝負球だもんな。
忘れてはいけない原点だ。

ヨガの先生が「私がそばをうろうろしてもけっしてぐらぐらしないで集中してポーズしてください」と時間中に言っていた。

集中して邁進!

そうすればねちねちっとした人を褒めない人のことも気にならなくなるのかもしれない。

by yoshi-aki2006 | 2011-05-27 07:45 | 人間考察 | Comments(2)  

枝野官房長官の養老盂司先生「バカの壁」

人の振り見てわがフリ直せ。
誰もいさめる人がいなくなる中高年期には特にこの教訓を自分に言い聞かせています。

枝野官房長官の発言をテレビで見聞する機会が多い今日この頃。
この人の風貌にどちらかというと私は好感を持つ。好感というか親しみですね。
こんな顔した知り合いがいたよなあ、とか、取引企業さんにもこうした外見のよく働く優秀な人がいたいたと思う。
誰かに似ていると思い出してみる人の中には誰かの奥さんや親戚筋の叔母ちゃんも混じる。

多分、仲間としては憎めない、一緒に仕事したい見事な人なのだろう。

が、官房長官としてはいかがなものか。

言語、声量明瞭、意味不明。

だからなんだよと突っ込みたくなる抑揚のない棒読みコメントでは何も伝えていないのと同じだ。
記者会見での発言を聞いていると、絶対に非難されたくない、発言した以上のことも以下のことも言わないという養老盂司先生「バカの壁」に例としてあげたくなるような必死な「防衛」「保身」のパワーを感じる。

ここからは想像なのだが、「あとであれこれ責任問題となるよりは暗愚にみえても愚直を貫く」方針で突破しようとの作戦と見る。
彼はどこに突破したいのか。
将来の総理の椅子であろう。
だから決定的な失言だけはしない、したくない。その強烈なメッセージが抑揚のない血の通わない記者会見の発言になり、聞いているこちらはいらいらするのだ。

枝野さんは嫌いではないが、やっぱり民主党に政権能力はないのではないか、との思いを持つ。
知らないからいえないのだし、なのにスピーカーになってしまっている。その危うさを枝野さんは誰より知るから保身の発言が続くわけで、「わかりません」「知りません」「調べていません」と居直れば済むのにそうすれば政権担当能力がないのに役職についている矛盾に自らつまずく。

だから養老盂司先生「バカの壁」になる。気の毒に、と思う。

そして冒頭の人の振り見て我がフリなおせに私は戻る。
私も知ったかぶりはすまいと襟を正そう。
わからないよ、神様だけが知ってる未来のことは。
大事な人がいつ死ぬかなんて誰も知りようがない。
金のこともそうだ。マーケットの行方を神様のようには見通せない。
研究成果を聞いていただく。人としてみてきた感じた因果律をご披露する。できることはそれだけだ。

それをさも神のように知っているように話すマーケット関係者と同じ穴のムジナにはなるまい。
特にテクニカルアナリスト。
自分のことを神さまのように思って振舞う人もいる。
誰もわかってなんかいるもんか。
三流証券会社勤務の経歴を理事長などの肩書きでロンダリングしようとしている人はいないのか。

そんな役職や肩書きは月日の波が洗い流していくことだろう。

今日、見たNHK番組でああ、こんな先生に教えられたいなと思わず名前をメモした。
前川和彦先生

理路整然とした話方の向こうにはものすごい知識量を感じさせた。どこから質問されても的確に回答されるその姿に研究者の姿を見た。
願わくばそのような研究者に繋がりたいものだ。
影響力の武器の使い方だけ長けたエセ専門家の蒙昧に絡めとられずに。

by yoshi-aki2006 | 2011-03-24 12:08 | 人間考察 | Comments(0)  

熱烈に求愛されたときに見極めるべき相手の本性

知り合いの姉妹の話です。
お姉さんがある男性とお付き合いしていました。
その男性はハンサムで責任感が強く、収入も多い人だったそうです。

そこに女性登場。男性を追いかけまわし、ついに奪い取り、結婚。
しかし、結論から言うと男性はむちゃくちゃにされて早死にしました。

お姉さん思いの妹はお姉さんの気持ちを紛らわせようとしばらくと東京から離れて旅に出たそうです。
お姉さんと結ばれていれば男性はもっと長生きできたでしょうね。

こんな風に異性を追いかけまわして付き合おうとする人には用心です。
恐ろしい精神構造の持ち主であることが多いようです。
実は調べ上げているのに偶然を装って相手と会うように会うように仕向け、行く先行く先に先回りしてつけまわしたりする。
その気にさせる術には長けているので必ず仕留めてしまう。
そのあとはコミットメントずけにして相手を支配し
思い通りにならないと大暴れする。

頭がいいためにストーカー規制法には引っ掛からない。ちょっとお金があったり、なんか乗ってみたいような車を転がしていたり、話術が巧みだったり、何か権威の陰もちらつかせたりして人を引き込む。

いわゆるサイコパスというタイプに仕留められると後は・・・。
死ぬまで崇拝を求めてやまず、嫉妬と猜疑心で相手をへとへとにしてしまう。やきもちも程度問題ですよね。

嫉妬と猜疑心が正常値と異常値の境目のいわゆるボーダラインの人が怖いわけです。異常者には見えにくいからです。ちょっと個性的な面白そうな人に見えたり、変わってて普通の人と違うと興味をそそられてしまう。しかし・・・。

心理学の本には「そういう人と出会ったら出来るだけ忘れてもらうようにするに限る」とあります。
もててる、と情にほだされて結婚などしてはだめというわけです。

異性に追いかけまわされたことはありませんか。
ああ、そういえばという思い出が?
ご縁があった人は今はお幸せ?
ご縁がなかった人はご無事でなにより。

熱烈なものに見えるものは強烈な支配欲だったりするのですが若気の至りとはよく言ったもので、そういうことがわかるのは中年以降ということに。
春、恋のシーズン。
ご用心! なんて無粋だったかな~

by yoshi-aki2006 | 2011-02-28 10:33 | 人間考察 | Comments(0)  

負い目にすがりつく人

「あの、もしもし」
「はい?」
「お宅、東京にお住まいですか?」
「は」

風体の卑しからぬ70才過ぎくらいの男性に呼び止められました。
こちとら、中国語のレッスンが終わって「さあ、体ほぐしに」と急いでいる身。

なんでござりましょうや、ご老体?

と聞けば、飲んでここにたどり着き、ふと財布を見たら、箱根に帰るのに金が330円足りないのです、という話。

何? この寒空に330円足りず、駅近のこの建物に立ち尽くしているというわけか。
気の毒に。
やるよ、330円くらい・・・・と財布を出しかけて、馬鹿いってんじゃないよとはたと手を止めた。

あんた、二軒もはしごして飲んで金が足りなくなったといったね?
携帯でその飲み仲間に借りたら?
あるいは箱根まで帰り、家族なり、近所の知り合いにでも頼んだらいいがな。

いい年をして見ず知らずの通りかかりの私に何を調子の良いことを言っているんだ?
お人よしに見えているらしい自分の顔が恨めしい。

じゃ、駅員さんか警察にいえばどうですか?

「いや、警察は信用ならない」
えっ、じゃあ、通りがかりの私は警察よりも信用してもらえているの?

ホントふざけたご老体でした。顔はしらふ風でしたし、風体もけして破綻していなかったけれど、論理がおかしい。
人の負い目にすがろうとする新たな詐欺ですかね?
そんなふうに疑う気持ちにも罪悪感を持てというの?

330円あったなら、飲んで電車賃がなくなったあなたにではなく、もっと違うことに寄付するよ。

とはいえ、駅員さんに話をつなぐところまではやりました。
まったくこの人としての負い目というやつは。
親しい知り合いもこのやっかいな負い目のために命を落としたり、仕事を棒にふったり、損なことに巻き込まれていったんだんだよな。
ずるい人は人の負い目を利用する。
病気の振りして。
かわいそうな立場を強調して。
「義」のために立てとか言われて。
絶対、その手に乗るもんか。
乗ったら最後、金も名誉も命もいくらあっても足りないや。

by yoshi-aki2006 | 2011-01-20 14:02 | 人間考察 | Comments(2)  

達人の領域~人の許し方

「あの人のことは生涯、許さない」
そんな人が誰の胸の内にもいるかもしれない。

私もそういう思いを抱いてよく怒っていたなあ!

しかし、だんだんと考え方、感じ方が変わってきました。

人は鬼のような顔をしていても実はものすごく弱いものだと時々、いろんな事象から学ぶからでしょうか。

さかのぼれば、この数年、許し難いと思っていたこんな事柄がありました。
ある団体で、いつも人を脅かしつけ、大きな声で自分流の正義(?)を説く人がいました。
その人はコンプライアンス担当となって大嫌いな人、反目する人、自分の役職への就任を邪魔する人の追い落としを画策していました。自分の嫌いな人への言いがかりの材料をせっせとあさっていたのです。

汚い野郎だなあ。

私より年かさの人でしたが、私はその人の蹉跌を気の毒に思っていた時期もあっただけに、その人が人の追い落としを画策していると聞いた時は心から残念に思いました。

その人と気心が通じるQさんとその人こそ、厳密にいえばコンプライアンス違反をしていました。
その証拠を多数の人が持っていました。
しかし、私もほかの人もそのことを追及しませんでした。
なんだかんだ言っても同じ釜の飯を食べた仲間だと思っていたからです。

そのことが表ざたになるとコンプライアンス違反であり、役職に就くにははふさわしくない。
が、あえてその人とQさんのことをみなは追及しませんでした。
それは温情でもあり、
人としての品であり、
馬鹿なことに血道をあげる幼稚さを自分の人生から排除したいと思った結果でした。

が、その思いをその人もQさんも理解することは有りませんでした。
恩義ある人、先輩格に対し名前を呼び捨てにし、
批判的に見ていた私に対しても私が見込み客となりそうなときは「もみ手」で資料を送ってきていましたが(Qさんは研究職から契約制の営業職に就いていました)、ある団体で自分たちがポジションがとれると、態度が一変。「お前、何をおれを批判してる」と嵩にかかった言い方をするようになりました。

何人かの人たちで、
「Qさんの変身ぶりは誠に残念だ」
と嘆きあい、時に、私も強い感情で「許し難い」と怒っていましたが、

人の心に気がつくことなく、更生のきっかけをつかんで人として成長することのできない品性の人もいる、と思うようになりました。

武士の世界では、あるいは戦国の世界では、
こういう品性の人間は粛清、成敗する必要があるかもしれません。

しかし。

しょうがないよ。
温情に対し、刃をむき出す品性を他人が治すことはできない。

いい大人であればなおのこと。

品性のよしあし。

食べる口、排泄する口、子孫繁栄の口。

すべてをひっくるめてその人の品性なのだから。

そう思うことが私の許し方です。

きっと私もそうやって遠くから見てくれている人の温かい情けで突き詰められずに自分でゆっくり問題を通して学び、成長のきっかけを与えられたことがあると思えば。

by yoshi-aki2006 | 2010-11-20 12:28 | 人間考察 | Comments(0)  

大人気ない大人の増殖

あなたほんとに、大人気(おとなげ)ない人ですねえ!

ちょっと前に一周り以上も年上の男性に思わず、バチンと言葉のパンチを繰り出した。
ものすごく頭の回転が早い人で、仕事振りもすばらしく、かねがね尊敬していた人だった。
が、時代は彼の才能を使いこなせず、もっと出世してもよかった人だったのに、学歴の割りにサラリーマンとしては日陰道だった。

そんな鬱屈が年下の、とりわけ面と向かってはむかってくることのない女性(私も一応この範疇に入っていたと思う)に向かってきて、結構、言葉の暴力(いやみ、みたいなもの)や嫌がらせ(というほどのものでもないが、わざと忙しい時期に煩雑なことを無理無理押し付けてくるようなこと)があり、そんなことを彼からされた人の中には対立が抜き差しならなくなった相手もいるけれども、多くの人は私も含め、「男のヒステリー」と大目に見てそういう時はまともに相手にしなかった。

甘えているんだ、くらいにほうっておいた。

が、続けて四回くらい、ちょっと捨て置けない、という言動があり、そこで「怒ると疲れる。エネルギーがもったいない」と最近、めっきり怒らなくなった(これでも)私も冒頭の言葉をバチンと投げたわけだ。

相手が際限もなく崩れかかっている土石流みたいな状態なので、こちらは土嚢のような一撃を放つ必要があった。
こういう強い言葉は満座で投げるに限る。みんなの前で言えば、話は早い。どうせ後でいろいろ言われる。
だったらできるだけ多くの人の前で言ったほうがいい。

あなた、大人気ないよ。

男じゃないよ。

男がすたる。

このブログに以前、「美人がそんなことしたらあかんわ」とか「美人がくよくよしていたらだめだよ」とかいい言葉をもらって落ち込んだとき、立ち直れたと書いてくれた人がいたが、水も滴るいい男はそんなことしないよ、という意味で私もその男性に、

いい男がすることじゃないよ。
大人気ないよ。

といいたかったわけだ。賢い人だから腹の中はどうかしらないけれど以降、面と向かっての失礼な言動はなくなった。

ところで、最近たてつづけに子を虐待する親の話を見聞した。腹の虫の居所が悪いときには台所に足を踏み入れただけでまな板で女の子の顔を鼻の骨が折れるほど殴る母親。

信じられないようなひどいことを腹を痛めて生んだ子供にする人々。

識者が「むかしは継子を虐待するケースが多かったが近年は実の子にするケースが多い」と指摘する。
なんで腹を痛めた子を虐待するのだろう?

これこそ大人気ない。
大人になりきれずに、大人になんかなりたくなかったのに大人になってしまった大人のいらいら?

私のように相手に「大人気ないよ!」と相手を一喝することもできない幼い子供たちの惨状に何かできないかと真剣に思う。
埼玉県の取り組みでは生活保護を受けている家庭の子供にボランティアが教育機会を提供しているとのこと。
生活保護家庭でなくても、虐待されている子供にひどい親から自立できる手立てを授けることができないか、ライフワークとして考えてみようと思う。

私だって一人の人間としてひどい仕打ちにしっかりNOといえるまでに半世紀はかかったと思うし今だって、これで足りているかどうか、はなはだ自信はない。

ましてや小さい子供ならなおさらだろう。

by yoshi-aki2006 | 2010-10-19 09:54 | 人間考察 | Comments(2)  

ガリバー体験

ガリバーの物語を覚えていますか?
私はガリバー物語のストーリーや細部は覚えていませんが普通の人間がサイズの全く違う人々の国に漂着してしまい、捕らえられる部分を鮮明に覚えています。

いま、私はこのガリバー物語はずいぶんと奥深い物事を示唆しているな、と思っています。

ラジオのパーソナリティを13年間担当していたとき、ラジオマイクの前で大勢のお客様を相手に張り切っていました。講演会や原稿書きでも向こう側に大勢のお客様がいらして、私はがんばっている感を強く覚えるわけです。

それが過度に進むと、自分対1000人、万人というふうに強い自負が生じます。
私は何万人もの方に信託されているんだと思うあまり、ストレッチがかかってしまう。
この感情はともすれば、ワタシはエライ病の病原菌になります。

いま、ある会で、全く寄り添うことのできない意見の対立を見ています。
中心人物は仮にAさんとしておきましょうか。Aさんは会議の席でも「神」になられて、意見の違う人と絶対に相容れません。
60過ぎてこの分別かなぁ、と時に狂犬のように意見の違う人を攻撃される姿が残念でなりません。

研究者として立派な方だとずっとあこがれていたのですが、この数年で急激に「神」、あるいはヒトラーのようになられてしまいました。
自分と反対の意見の人のリストを持ち歩いていて、大の大人相手に「この人らの意見を聞いては絶対にいけない」とロビー活動に余念がないと聞きます。Aさんのスローガンは自分の意見の違う人の粛清であり、殲滅のようで、恐ろしい考え方だと思います。

そういう人が体全身から「会の代表になりたい」と手が伸びた状態で、人前に出てこられるのです。
そして代表になれるまでワンワン吼えまくる。
どうしてこうなっちゃったのかなーとその人の蒼い顔と血走った目を見ていて、研究者として自負が過ぎると神になってしまう病原菌にやられたのかなと推測しています。

さて、ガリバー物語。
みんな同じサイズなんだ、その同じ大きさの人間同士で助け合いながら社会活動をしていきましょうというのが共同体の一つのあり方。
サイズの違う人間は敵とばかりに縛り上げたり、迫害したりするのはおろかなことです。ある研究分野でAさんが上でも別の切り口では自分より下と見下している人がスターであったり、人をひきつけている。「神」はそれこそが許しがたいのでしょうが、人はいろんな能力を持ち多面的です。
それを理解されなければならないと思います。

研究者としての自負や会社社会の地位などを持ち込むのがあまりむかないNPO法人に「神」はいらない、と私は思うのですが。

そうそう、体のサイズを大きくしたり小さくしたりはできないけれど、心は努力によって広げていくことができる。
人と相容れない狭い心でなく、寄り添う心がないと会の代表になることはできないと思います。

ましてや社会貢献の団体の長になるには難しいのではないでしょうか。
金儲けや「私が偉いごっこ」をするような会なら解散も視野に入れましょう、というところまで来ているようです。
仮に2200人の会で仮に17000万円の内部留保金があるなら計算すると一人75000円の返金になります。
会員の四分の三の賛成があればこの会は解散できます。
今回は議決権行使が50%強でしたが、75000円返金されるとなれば100%近い行使が成されるかもしれませんね。

自分と意見の合わない人は粛清するならヒトラー方式も同然です。
そんな会に社会貢献はできない。
腹をくくってヒトラー方式と対決です。
ただいま、ノルマンディの攻防というところでしょうか。

by yoshi-aki2006 | 2010-07-06 07:34 | 人間考察 | Comments(4)  

暴走老人

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人はいくつから老人と言われるのだろうか?
20歳の頃、40歳はすごいおじさん、おばさんに思えたものだけど、今は
60歳の人を目前にすると「まだ、若い」と思う。
しかし、報道などでは65歳以上は「お年寄り」と呼んでいるようだ。

ところが、65歳の人が自分をお年寄りと思っているかというとまったくそうではないケースが少なくない。
70歳でも75歳でも80歳でも、物理的生物時間として十分なお年寄りでも本人意識ではまったくお年寄りではない人々が多いように思う。

私のイメージではお年よりは子供、孫とともに楽しい窓辺、日向の時間を過ごし、いくばくかの営みで生産活動の補助して、自分の居場所を少しずつ後進のものに譲る準備をするというふうに思っていた。

しかし、現実世界で目にするのは
年下のもの
女性が自分を凌駕しようものなら目くじらを立てて、牙をむき出しにして嫉妬し、
自分がなんとかサル山のボスでいる道を画策し、
言うことを聞かない人間をどうしたら蹴落とせるか算段し、
人の金を当たり前のように使い、
世辞を要求するドあつかましい老人ばかりだ。

一流の場で一流の仕事をし、多くの人のために汗を流し、尊敬された人はそういうことはしないだろうと思う。

ジェントルマンな老人は残念ながらごくごく少ない。

子供っぽくて嫉妬深く、「自分が一番病」の人が目に付く。

そんな中で、嫌にならずに公益を実現していくことは難しい。

いろんな本を読んで、どうしたら暴走老人から身を守れるかと悩む日々だ。

暴走老人は男性とばかりは限らない。
ザーマス、ザーマスとにこやかだった女性が気に食わないことがあると細××子さまのようにべランメイになる例もある。

日本史とともに研究したい。
暴走老人・・・・。
相場の暴走ならまだしも、なあ!

by yoshi-aki2006 | 2009-12-27 14:43 | 人間考察 | Comments(0)  

一年前の自分

Dさんはアラウンド私と同じ年恰好。
会社を経営されている「しゃっちょ」さんです。
そんなDさんと私は一ヶ月に1~2回、勉強会で顔をあわせます。

そして、「あー、一年前の私だ」とDさんを観ていてそう感じるのです。
まず、勉強会だからみんな忌憚なく意見をいい合う。
一年前、私も結構発言していました。
が、KYになることも多かったのです。そのときは分かりませんでしたが、今はDさんが身をもって示してくれています。教室で社長をやってしまう。
私も一年前は教室で「センセイ」をやってしまっていました。

しかし、その場には期限付きで文書を仕上げなければならない人もいる。
そんな人にとっては、教室の「社長」や「せんせい」の不規則発言でなく、ちゃんとした先生の話を聞きたいわけです。

今、自分が「仕上げなければならないもの」を抱えて教室に行くわけですが、「しゃっちょ」が会社の社長室にいるのりで発言するのを時に「KYだなー」と感じてしまうことがあります。

そして一年前の自分を思い出します。
一年前、自分も平気でKYでした。

ちょっと年かさの人がフラットな場所で疎んじられる1つの要因は自分の知ったこと、培ったことを自分の個別のスタンスでフラットな場所であるにもかかわらず、
自分のそれまでの人生で獲得したステイタスにのっかって発言してしまうことでしょう。

これで若者に反発されてしまうんです、きっと。ババー、ジジー、だまっとれと。

このミスマッチを何とかするにはできるだけ話すときにうまく船を出さなければならないわけですが、私なんかは出たとこ勝負におばさん喋りをしてしまうんですよね。

ま、順番にいろいろ勉強していくしかないんですが、それにしても神様はすごいなー。ちゃんと鏡を用意してくれるんだもん。鏡を見て、自分の身だしなみを質していくしかないんだよね。

Dさんも来年、自分に似た人と出会うことでしょう。えへへ。
Dさんからはもう1つ、自分を見つけました。
ビジネスの戦場から教室という敵の少ないフラットな社会に来た当初、ものすごく緩むんですよね。ほっとする。で、若くなった気がする。
楽しくなる。ラクになる。
その緩み方が端から見ているとなんか場違いな感じがする。
どうしてでしょう?
きっと私もいろいろと観られているでしょうね。

自分のことは人を通してしか観られない。
厄介だけど、だから、人は人を求めるのかもしれませんね。
いろんなことを学ばせてもらっています。ありがとう。

by yoshi-aki2006 | 2009-11-26 15:41 | 人間考察 | Comments(0)