カテゴリ:人間考察( 109 )

 

おばちゃま

「えっ? ボクが行ってもD社長は全く出てこないけど・・・」と聞くが、なぜか私がうかがうと必ずDさんは「どーもー」と社長室からお出ましになる。そして、たいていは一時間はお話くださる。

ま、避けられてるよりいい、とお話をうかがうのだが、ワイ談をされて、
「おっと、ゴメンよ。でも、ま、いいよな、おばちゃまだからさ」と私を見て、そうおっしゃるのだ。
「えっ? おばちゃまって私のこと???」(その席には私しかいない~)

だよな~。私のことだ。だけど、おじちゃまに「おばちゃま」呼ばわりされたくないわねえ。

結構、気にして辞した次の席で、大正のお生まれの別の社長さんに
「いやー、木村先生のご意見はすばらしい」
と持ち上げられたあと、社長は若手社員に激を飛ばされるのだ。
「おい、みんな。彼女は見て分るように年配の女性だよ。しかし、君たちよりよっぽど頭が柔軟だよ。君たち、見習いなさい!」

あのー、しゃっちょっ!!

年配のしゃっちょサマに「年配の女性」呼ばわりされるこたー、ないわな?

すっごく傷つくわ~。

が、連日、セミナーや酒の一席が続き、さすがにくたーッとして来ているのがわかる。

歩いているときなど、「おや? 私こんなところに肉の存在感感じるの、はじめて・・・」という具合に肉布団の厚みが増して・・・。

はいはい、わたしゃ、肉布団着た年増ですよん。

が、その後の若い衆との打ち合わせではイケメン編集者がじーっと目をそらさずにこやかに私を見てくれているのを感じ、「あー、若い衆はいいなあ!」としみじみ。

ご年配のしゃっちょサマ、おきをつけあそばせ。年増は見かけはふてぶてしくても傷つきやすいのよ~。
ってしゃっちょサマも若い女性の前では、もじもじして青年ってか?

by yoshi-aki2006 | 2008-04-17 22:51 | 人間考察 | Comments(0)  

洗脳

オレオレ詐欺が頻発しているニュースになんとも妙な印象を受け続けてきた。
何でそんなバカなダマシに引っかかるのか?
思い込みってのは恐ろしいな!

心当たりのある息子、娘、孫がいる親、おじいさん、おばあさん宅に劇的な状況の電話がかかってくる。

オレオレ詐欺は単純な構造だが、実に効率よく「てこの原理」で要所要所を刺激する。
まず、平穏な日々を送っている人に劇的状況をぶつける点だ。
不思議なことだが、人には「人の不幸はミツの味」というか「葬式、結婚式などの慶弔祭事に燃える」というか、劇的なものに惹かれ、引き寄せられるべースがある。

その正直な「他人の不幸は蜜の味」を自責する気持もあり、反作用で自責の念にかられもし、過剰に力になりたい、助けたい、何とかせねばという気持になる。

そこに官憲役が登場する。警察官、弁護士など一般的に権威と思える人から「振込みなさい」と命令される。そこでもやもやとした感情は一気になくなってしまう。迷うのは罪悪だとまで思うのだ。
しかも、一刻も早く振り込むことで、孫、子から「おばあちやん、ありがとう」といわれるゴールが待っている。感謝されることに渇望感があるため、ゴールを目指して驀進してしまう。

詐欺犯は私たちが社会的生活の中で知らず知らずに身につけた行動様式の中から洗脳に効く要素を見事に突いているわけだ。

てこの原理で人の心を操る人。オレオレ犯だけでなく、いろいろなものに化けてたくさんいるなあ。

by yoshi-aki2006 | 2008-03-30 12:14 | 人間考察 | Comments(0)  

人の居場所

あるとき、タクシーの運転手さんと美空ひばりさんの話になった。
「いやあ、美空ひばりさんは幸せな人だよ」
私が彼女の不幸をいうと運転手さんはそういった。

その意味が今ではよくわかる。大好きな歌一筋。
歌のうまい人は世間に一杯いる。しかし、歌い続けられる人はそうそういない。
その意味で才能にも努力する環境にも恵まれた美空ひばりさんはある意味で幸せ。
そうかも知れない。

玉三郎さんの日常をNHKで拝見した。
玉三郎さんは舞台だけに集中する。出番が終わるとすぐ帰る。
そして、マッサージを受けながら明日の出番をいかにこなすかに集中する。
彼はいう。「遠くを見ない。明日だけを見る」
これは凄みのある言葉である。
また、そういえるだけの努力をしている人ならではの言葉だろう。

また彼はこうもいった。
「ちゃんとやるのはあたりまえにしてもそれすらもわからなくなるほど集中しているときがある。その時は誰のためということもわからなくなっている。その時、ふと、天から自分の姿を見られていると感じることがある」と。

彼の居場所は舞台だけ。舞台だけにしか居場所がない人の地獄と天国。
美空ひばりさんの居場所は歌にだけ。
家庭だけが恋人だけが子供だけが、親だけが人の居場所になるわけではない。
自分の帰る場所。命の燃える場所。自分の居場所は自分で知り、自分で作り大切にしていかなければならない。

by yoshi-aki2006 | 2008-01-18 23:20 | 人間考察 | Comments(0)  

NOの受け取り方

NO。
人からダメ出しされたとき、どう対処するかで明日が決まる。そんな気がする。
電気工事に来てもらったA社。
A社のAさんは寸法を間違えたり、取り付け場所を間違えたり、様々にチョンボがあった。
が、工事中、それを積極的に改善することはついになかった。
値引きするでもなく、誠意をもって対処するでもなく。
「ああ、でもしか屋さんだなー」と感じた。果物をたくさん手土産にくださったりして、向こうはそれなりに気を使っているようなのだが、こちらはちゃんとした仕事をしてもらいたい。ただ、それだけ。
が、仕事が半端。そして、それを羞じないところが「二度と頼むまい」という気持につながる。
自分がそうならないように、神様がお手本を寄越してくださったんだな、とも思う。

そして最近、こういういい加減な仕事をする人の特徴が少しずつわかってきた。
人の話を聞いていない。
話をするとそれなりに返してくるが、聞いているという感じに微妙に「ほんとに聞いているのかな」という疑わしさが混じる。

私も耳のいい先輩に時々叱られる。「まだ、話の途中だろうが」とか「話を途中で変えるな」とか口の悪い先輩は私がちゃんと聞いていないとすぐわかるらしく、「人の話を聴け」と注意してくれる。

そのことがわかるようになってきた。
こちらがオーダーを出す。口では「はあ
・・・」といっているが今ひとつ、「やってやろう」とそのオーダーに立ち向かってくる気配がしない。
もしも、オーダーを成し遂げようとするなら、ツボをつかんだ質問があるはずだが、それがない。
するとこちらは「あー、やる気ないんだな」と感じ、「次は別の人に頼もう」と決意する。

私も仕事相手にそういう生返事をしないようにしなきゃ。
人の振り見て輪が振りなおせ。
そんなことを思った次第。
NO、といわれたときほど、徹底的に相手のクレームに誠実に対処する。
そうすると、その客は一番のひいき筋になる。
そういえば、同じような話がIRプランナー仲間との新年会で出て、お互いに強くうなずきあったテーマだった。
NOといわれた時ほど丁寧に徹底的に対処する。
最後まで手抜きしない。
それがプロの条件かもしれない。
電気屋Aさんは親が資産家で言ってみればボンボン。きっとまだ地獄を見たことがない人かもしれない。

by yoshi-aki2006 | 2008-01-14 20:13 | 人間考察 | Comments(0)  

老いの考察

出張などで電車の乗り継ぎをするとき、分別盛りと思える初老の(40歳からそういうのだそうだ)人が一杯一杯になってしまって横着している光景と遭遇する。

明らかに大会社の執行役員か部長クラスと思える男性。
センスのよいスーツで顔つきも立派。挙動、動作からやり手と感じる。
出張先で一杯やってきたらしく赤い顔。

すんませーん、と大きな体を発車寸前の電車にねじ込んでくる。
そして、本人は全く悪気はないのだが、肩から提げたショルダータイプのかばんを肩にかけなおすとき人にバーンとあたっても気がつかない。多分、この人なら気がつけばきっと「ごめんなさい」と謝るだろう。酔いと老いとがこの人の注意力を散漫にさせている。こういうサマを垣間見るとき、見ず知らずの男性なのに彼のこれからの人生がホントに(自分勝手な想像であることは重々承知だが)全くツマラナーイものに感じる。

なぜなんだろう?

そのサマからこちらがこの人がこの先チャンスを掬い取る確率、取り逃がす確率を勝手に計算して、「あ、老い先短い」と感じるからだろうか。

旅行かばんを引っ張って電車に乗り込んでくる白髪頭の男性。
奥に詰めて乗ればカッコイイのに、人が仕方なくゆずるしかなくなるように狭い空間にかたくなにたつ。そうして無理無理獲得した空間に妻らしき女性とソレまでのかたくなさとは違った顔でしゃべっているのを見る。この時もその人に老いを感じた。

かばんで人に当たったり、立ち居地をいこじに確保するようなことは若い人でもする。しかし、
分別盛りの年齢になってもそうあることが、ひどく横着に感じられ、それが「老い」の証文のように私には見える。
もし、執行役員風の人がかばんで人にぶつかったことに気がついて「おや、失礼」と言ったり、
白髪の男性が社内の中ほどに詰めて、人に対する配慮を見せていたら、きっと印象は全くちがったろう。
「ま、いいや。多少、あつかましくなったって。この年だもの」
そう思ったとき、人は横着になり、他者からはものすごく老けて見られるのかもしれない。
自分にもものすごく横着な時がある。自戒しないと、と思った。

by yoshi-aki2006 | 2007-12-04 09:47 | 人間考察 | Comments(2)  

一緒に暮らせないヒト

とても一緒には暮らせないヒト。私の場合、それは母だった。
ともかく、何でも捨てられてしまう。
私が精魂込めてかきあげた油絵。
ある日、「あの絵は?」と聞くと「じゃマッケだから捨てた」と悪びれる様子もなくこたえる。

気に入って取り付けたシャンデリア。
家に帰ると安物の白熱灯に替わってる。
「あーーー、あのシャンデリアはっっっっ???」

「うん、掃除しようと取り外したら、取り付け方が分らなくなって捨てた」とまた、へーキな顔をしている。「いったい、いくらしたと思っているのよっっっっ」
ワナワナくる私。
母はケロッと「しらん」で終わり。

こんな調子で実に様々なものを捨てられた。
服から「後でゆっくり飲もう」と思って置いておいたコーヒーから書類から・・・。

そのクセ、私が大好きなものは勝手に自分のものにしてしまう。
海外で自分のために買ってきたタニノ・クリスティの一足5万円の靴は「あら、私にぴったり」と勝手に履いていく。
「後でちょっと食べましょ」と置いておいた物はすぐ見つけて全部食べる。

とてもこんなヒトとは暮らせないと思った。

このヒトの母、私のおばあさんもやんごとなき方にいただいた懐刀や手紙、大切な家系図など今、「何でも鑑定団」に出したらものすごい査定額が出たであろう品々を「じゃマッケ」と捨ててしまう人だったと聞く。

ヒトのものを勝手に捨てるヒトとはとても一緒には暮らせない。
だから私はヒトのものはけして触らないし、捨てない。
家がかたずかなくても。ヒト付き合いの犯すべからずのルールだと思う。

by yoshi-aki2006 | 2007-11-30 18:40 | 人間考察 | Comments(2)  

美女の選択

いつもいつもお会いするたび、「なんて美しいんだろう????」と1人勝手に感嘆していたHさん。
私が時々いくスタジオにいらっしゃる。
経営者なのかなあ、経営者の伴侶? 娘さん?
顧客対応は明らかにマネジメントサイド。
経営幹部であることは間違いない。

それにしてもHさん。宮沢りえさんをさらに妖艶にしたような、女優さんでも充分通用する美貌!

それが!
なんと!
カンフーの先生であった。
たまたま、受講する機会があったのだが、イメージとのギャップに驚いた。

Hさんが決めのカンフーのポーズを取る。そして、キックをバシッと入れる。
そして相手に打ち出すパンチの時には「エイヤッ! オー!!」と気合の入った声を発せられる。
想像してみて欲しい。
象牙のような美しい肌、宮沢りえさんをさらに妖艶にした超美貌の先生が
パンチを繰り出し、鋭い蹴りだし、キックをし、エイヤッ、オーと発声される有様を。

スタジオにはH先生の大ファンと思しき男性親衛隊みたいな生徒さんもいる。
私は勝手にバレエか何かのエレガント系の先生かなと想像していたが、
美女だからエレガント系を志向するとは限らない。
美貌のカンフーウーマン。当分、私もメロメロだなあ!

by yoshi-aki2006 | 2007-11-26 06:41 | 人間考察 | Comments(0)  

ガンバリと恐怖の一線について

私たち一族にとって忘れられないヒト。それがミドリさん(仮名)である。
ミドリさんはお嬢様大学として名高いA大学の大学院までおでになって大学准教授としてがんばっておられた。
縁あって私たち一族とミドリさんの付き合いは始まった。つまり、私たちの遠縁のお嫁さんとして彼女は嫁がれてきたのである。

最初、まず、びっくりしたのはミドリさんからは有名料亭仕込みの珍味や世にも珍しい品々が二週間とおかず、送られてきたことだ。そして、私に何か仕事のトピックスがあると豪華な花束が届く、家族がちょっと入院すると書留で見舞金が届くといった展開が続いた。
ついには有名料亭にご招待までいただく。
それはもう、嵐のごとくといってよいほどの攻勢に感じられた。

「ありがたいような、困ったような・・・・」。

みんなでそんな感想を持ち寄り、「どうする?」と対応に悩ましいものを感じはじめていた。

なんしろ、次から次へとミドリさんの出し物は続く。贈り物攻勢が続いたと思ったら、ご招待、それが終わったら、家の新築をはじめ、ご招待。それが終わったと思ったら、あーでもない、こーでもない、すべった、ころんだコンテニュー、コンテニュー・・・・。

私たちはその間、ずーっと振り回されっぱなしになった。そして、「そろそろ落ち着いたかしら?」と出し物の種尽きを安堵していたある日、遠縁とミドリさんの縁は切れた。

一番かかわりのあった遠縁はミドリさんに現金資産を相当吸い上げられてしまっていた。
つまり、ミドリさんから届いた贈り物の数々は全て、世俗にうとい遠縁の口座から決済されていたのである。

ミドリさんはヒトのふんどし(お金)で「あらー、いつもすみません。ありがとうございます」という立場上の優位をものすごく渇望していたようだ。

ちなみに縁が切れるきっかけとなったのは「毎月80万円ほどにもなるクレジットの決済の中身を知りたい」と遠縁が婉曲に注意したことに始まる。世間的にはその遠縁の申し出はもっともなものだ。
しかし、ミドリさんは信じられないほど、反発した。それはすなわち、自分の根幹を支える日々の賞賛を生み出す原資が絶たれることへの強烈な恐怖感だったからに違いないと私には思える。

この時の経験から、ふと、見回すと身近に「ミドリさんに似た人」はいるなあ、と気がつくようになった。
次から次へと話題を提供しなくてはいられなかったホリエモンもこのバージョンに近いといえるような気がする。
「ミドリさんなるもの」と紙一重で多動性症候群の成功者モデルも世の中にはいる。

が、しかし、多動性症候群で、何かしなければ気がすまないヒトは、また紙一重で「ちょっと困ったヒト」の要素も持つ。

何者か、別物にならないと見捨てられるように感じるのだろうか?
常にヒトに注目され、賞賛されないと恐怖感で一杯になるのだろうか?

「今のままでいいのよ。あなたでいいのよ。何もしなくてもいいのよ。あなたが好きよ」と母親にぎゅっと抱きしめられた経験がないのだろうか?

ちなみにミドリさんの母親は強烈な支配者タイプのヒトと聞く。
この母親に気に入られようとして、あるいは気を引こうとして、ミドリさんは出来上がってきたのかなあ。
がんばって大学准教授までなったヒトだが、
病的な部類に入る方向性なきガンバリは
周囲のヒトには竜巻のようで、去ってくれて実にホッとするのである。

by yoshi-aki2006 | 2007-11-25 13:13 | 人間考察 | Comments(3)  

人を構成する要素

才能がないのに世渡り上手。
+謙虚ならサラリーマン社会ではそこそこの地位にいけますね。
勢いのある人にしたがって、ヨイショしつつフォローする。女房役というスタンスです。

-謙虚だといつか足元をすくわれます。上によくても下には悪いタイプが多いですね。
隠れオレ様キャラといえます。

才能があるのに世渡りベタ。
+謙虚であっても人に好かれこそすれ、部下がついてこない。
-謙虚なら世捨て人的になりますね。おタクってやつでしょうか。

才能があり、世渡り上手
+謙虚ならトップ候補。
-謙虚なら正味オレ様キャラで嫌われつつものし上がる。こういう人も足元をすくわれるケースがあると思います。

才能があっても謙虚すぎると世の中に出て行く機会も少なくなり、人から評価されるチャンスも逃します。かといって才能がないのにチャカチャカうるさいと、「何、あの人?」といわれます。

今、国会で証人尋問されているあの人は元防衛省の方に言わせるとものすごく優秀な人だそうです。それは「世渡り」という点で、かなと思います。-謙虚だったんでしょうかね。

東大閥の中であそこまでのし上がったのはたいしたものだと思う・・・とその方はおっしゃっていたけど、証人尋問を受けている彼の周りには才能も世渡りも上手ながらやはり-謙虚なオレ様が多かったのでしょうか?

by yoshi-aki2006 | 2007-11-16 11:17 | 人間考察 | Comments(0)  

アニマ アニムス

どうしてこの男性が好きなんだろう?
どうして彼女が好きなんだろう?

誰にも好き嫌いがあります。

どうして彼のこと、彼女のことが嫌いなんだろう?

ミセス・Aさんを見ていて、「ああ、私はこういう人生は送りたくないな」と思う。
「本当はこんなことしたくない。嫌なんだけど、でも、しょうがないの」
ミセス・Aさんの口癖はそういうこと。

彼女の生きた時代は嫌なことをガマンしなくてはならない時代だった。
嫌なのにお見合いで結婚したり、嫌なのにその人の子供を産んで、嫌なのに嫌な旦那のご飯を作り・・・・。それもこれも「仕方がない」とあきらめて。子供ができたら「子供のため」とまた、あきらめて。

子供たちにとっては、ミセス・Aさんは「嫌なお父さんのために耐え忍び、子供たちを育てた聖母マリア」。
しかし、その息子、娘は果たしてどんな人生観を異性感を持つのだろうか?

が、しかし。夫はしてくれなくても息子や娘は母の日に花をくれ、温泉も連れて行ってくれる。

リリーフランキーの映画のポスターに目が留まる。樹木さんの手を引く息子役のフランキーさん。彼女演じる母親を通して、「ああ、こんないい息子を産んでよかったね」と彼女の幸せを思う。

が、しかし。どんなに母親として幸せでも、女性として幸せにならないと子供は不幸だ。

自分の中のアニマ アニムスが確立されていないと人と出会い、人と愛し合う事はできない。
私が男ならこういう男よ。
私が女ならこういう女よ。
両性バランスが取れてはじめて人として人と出会えるんだと思う。

ミセス・Aさんの「嫌だけどガマンして」状態では、アニマ も アニムスも確立されておらず、「聖母像」に隠れて時間が止まってしまっているかのようだ。

アニマ アニムスが確立されて出会えた異性と愛し合えたとき、今、ここで死んでもよいときっと思える。
読まれ続ける「100万回生きた猫」が伝えているのはそういうことだ。

私は自分の中の「佳夫のような男」を愛し、その「佳夫のような男」が愛するアニマに自分の本来の女性性を見出し、快を感じる。

ミセス・Aさん、今からでも遅くない。
いざ、本当に好きな異性との出会いを求めて、いでよ! 人の大海原に。

by yoshi-aki2006 | 2007-10-23 10:27 | 人間考察 | Comments(0)