事件モノのルポを読んだ。
内容は名古屋大学の女子大生が起こした事件を主軸に書かれたもので類似事件にも触れられている。
読了して、どの事件も似た家庭環境、親に育った子供が引き起こしたことに驚く。
バリバリ仕事して家庭を顧みない母親。子育てしない母親。
あるいは支配的な母親。マウント的な価値観しか持たない母親。
その母親はふがいない夫を子供の面前で罵倒する。
そして、こんな人間になってはいけないとも、言うんだろうな。
父親はふがいないとなじられながら、おずおずと子供の参観日などに出向いたり、子供の送り迎えなどもする。
夜に母親が仕事から帰ってくる。
いろいろ家事の不備を見つける。
母親はその不備を夫のせいだとなじる。何やってるのよ、アンタって人は家事すらもろくにできないのっ、などと。
すると夫は「母親らしいこともしないでなんだ」と反発する。
母親は「誰も好き好んで働いていない。あんたがふがいないからだ」と反論する。
子供そっちのけで夫婦が罵倒しあう。
子供は思春期に入ってだんだんおかしくなる。
父も不全。
母も不全。
自分を構成し、支柱となるべき父親像も母親像も確立できない。
これでは人としての足場が築けない。
メンターもいない。
守ってくれたおばあさんなどが亡くなり、やがては・・・・。
母親は見栄っ張りで「うちの娘は」「うちの息子は」と学歴を自慢する。家歴の披露にも熱心だ。つまり、こうした母親はものすごく欠損感、コンプレックスを持っている。だから娘、息子が自慢の種でなければならないわけだ。
その自分の路線に合わないことをしでかすと激怒したり、無視したり、虐待したりする。
母親も自分の足場が築けていない。だから、子供や見栄の張れるものを強引に足場に据えようとする。
人からよく見られたい。人からよく見られるために飾りとなるものが欲しい。夫はそれを与えてくれない。だから自分でつかみ取るしかない。
自己肯定感のために勝ち続けたい。
その上、母親って、何なんだよと思う。
走っていくなら一人で走りなさい。家族を作っておいて自分事最優先はないだろう。
それとも結婚し、子供を持つということも「人に勝つため」のイベントって位置付けなのか。
事件を起こした子供たちはこうした不全な親の被害者であることが多い。
こうした母親らは子供に愛情深く接しない。ごはんを作ってやることもない。
子供はあくまでも自分の見栄張り道具としての生き物扱い。
キレイにカットされた犬を連れ歩くように、自慢の息子、娘を対人的なアクセサリーにし、アクセサリーとして使えない子供はいらないわけだ。
何という母親。母の心に巣食う欠乏感。
この母親の心の陥没状態、その闇に落ちた子供が事件を起こしてしまうわけだ。
こんな母親であれば、こんな家庭であれば、そりゃ、おかしくもなるだろうなあ、と思う。
ただし、こうした不全な親や問題ある親に育ったからと言って全員が事件を起こすわけではない。
立派に生きていく人もいる。
どうして道が分かれてしまうんだろう?
そうした子供たちの周囲に温かい情のある大人がいるかどうかで違ってくるんだろうな。
例え、「子ども食堂」みたいな形であれ、人が人を思いやって作ったごはんを食べる機会が持てていれば。
ごはんを食べながらしみじみ、人が人を思いやるってありがたいことだなという体験があれば違ってくると思う。
本で取り上げられた名古屋の女子大生の場合、仕事にいそしむ母親にほったらかされていて、妹と連れ立って外食しに行く姿を近所の人たちが見ていたという。
また、洗濯も行き届かない薄汚れた服を着ていたとも。
「可愛がらないのにどうして子供を二人も生んでしまうんだろうな」
私にはこの点が不思議だ。
「自分は子供をかわいがることができない」と思うのなら、子供を持たない人生を選ぶことくらいしろよ、と腹が立ってくる。
母親の無自覚ぶり。
無責任ぶり。
まず、親に対して問題あるよなあ、と思う。
もし、できちゃった婚で子供を持ってしまったのなら、二人目はやめといたら?
名古屋女子大生事件の場合でいえば、なんで妹まで作っているの? と思う。
子供をかわいがらないのに子供を作って、虐待して死なしたりしているバカ親にも腹が立つけど、生んでおいて放置ってどういうこと?
そうした自身の不全に気がつかない空虚な親を持った子供が最大の被害者じゃないか。
気の毒な子供とはいえ、困るのは事件を起こす子供たちが何の関係もない人に被害を及ぼすことだ。
自分の人生をほかでもない親に軽んじられてきた結果、そうした子供は他者の人生をも軽んじてしまう。
一人一人に人生があり、それぞれが10人とも20人とも100人とも人間関係をつむぎあって、各々がその関係の中で目に見えない大切なものを育て合いながら生きているという時間空間に対する広がりの認識が持てない。つまり、社会性を持てない。
自分もそうした、今は届かない時間空間にいつかは仕事や余暇でつながっていこうとか、時や空間を他者とはぐくみ合おうとする漠然とした明るい肯定感を持てない。
だから、社会性の欠如の最たる「事件」を引き起こしてしまう。
究極的には「自己実現が最大の生きる目標で自分ごとが最優先」という世界観を持つ親が呼び寄せた帰結であり、子供のしたことは親の不全の延長線上にある、と私は思う。
そうした子供にしないためにはまず、親は子供に心を込めて食事を作り、ともにおいしいねとかこれはこういう味の方が合うね、とかたわいもない会話ができる時間を多く過ごすべきだと思う。
社会でバリバリ働いて他者をしのいで出世していく男は頼もしくはあるが、激務でストレスを抱える結果、こうした男たちは浮気かパワハラか、そうでもなければ早死にか、原因と結果の世界でそれなりの帰結を見る。
社会でバリバリ働いて、家庭では善き夫、善き父でというような絵にかいたような男はごくごく少ない。
そうした男はほかの女にもかっこよく映り、さらわれてしまうこともある。
するとシングルマザーで働かなくてはならないということにもなるわけだ。
だから甲斐性なしの夫を責めてはいけない。善き父であってくれればいいではないか。浮気をする甲斐性もないくらいでちょうどいいのだと考え直せぱよかったのにね。
子供の前で夫をなじると子供は自分の半分を否定されている気分になり、離人症や二重人格になる。
だから親は子供の前で配偶者を非難してはならない。
親になったら、自分事最優先ではいられない。それを自覚し、それを受け入れたうえで人生設計をしなおすべきである。
それにしても本当に怖いことばかりが書かれてあって、いろいろ考えさせられた。
本を読んでもう一つ、怖いなあと思うことがあった。
それは無味無臭な猛毒が容易に名古屋女子大生ら、こうした事件を起こした人たちに入手できたことである。
そして、こうした猛毒にやられると今のコロナ騒ぎの症状と酷似する。
いろんな意味で考えさせられる読み物だった。
一橋文哉さんの本一覧は以下のリンク。
経済モノもたくさん出されていて名古屋女子大生の本以外にも何冊か拝読しています。