若見せしなくても若見えする私の健康法

昨日は趣味のフラメンコの発表会。
カーニャとタンゴデマラガ、そしてこの衣装で最後のフィナーレ セビジャーナスを踊った。 
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発表会当日に向けて、節分頃からフォーメーションの練習。そして、何度も何度もリハーサル。
お教室の主催者である先生が初めて発表会に参加する人も戸惑わないように、配慮した練習スケジュールを組んでくださる。

発表会に向けてのレッスンでは体は意外と疲れない。それよりも群舞で踊るための段取りに頭や気を遣うことや衣装やアクセサリーなど非日常品を身に着けての体験に慣れることなど筋肉とは違う部分の疲弊感を味わう。

すると、発表会が終わった頃、筋肉量や体筋などに物足りない感が生じる。そこで、翌日、体を鍛えるべく、体幹強化とタメとキレの先生に指導を受けることに。
こちらの先生とは1年ぶりくらいの再会だ。
久しぶりの再会で、初めて先生に実年齢を言うと20歳は引いてもいけるんじゃないかと言われた。キャー😆
またまた~と思ったけど、みんなに夢を与えるから年齢を明かしたら? とまで言われたので、まんざらヨイショではないのかも。
そういえば家族が入院した時、見舞いに行ったら後日、「娘さんですか?」と聞かれたと家族が言っていたから、多少とも実年齢より若く見えるのかも知れない。

20歳代のころはもの凄く老けて観られていたのに、実際に老けてから若く見えているということは何が原因か。
あの頃と今の何が違うのか考えてみる。

すると飲酒と喫煙習慣だと思い至った。
今の私は20歳代と違ってほぼお酒は飲まない。
お酒そのものは大好きで、味わう程度には嗜む。
しかし、酔う程には飲まない。酔うとしんどいし酔って何が楽しいんだかな? とも思う。
飲まないほうが圧倒的に体の調子はいいし、気持ちも楽しい。

20歳代のころなんであんなに飲んだりタバコ吸ったりしていたのだろう?
飲酒や喫煙が「私って大人」って自己満足を誘発し全能感を支えていた気がする。
ウイスキーの水割りなら7杯は飲んだ。たばこも1日1箱から2箱くらい吸っていた。
そんなある日、あれは20歳代の後半だったろうか。毎晩のように飲酒していた知り合いの女性の頭髪がものすごく薄くなっていることに気が付いた。
まるで老婆のような悲惨な状態だった。ふわふわした細い毛の間から地肌が透けて見えていた。一体なぜ????

飲酒は血管を広げ、たばこは逆に血管を収縮させる。
それで血管が疲れ、毛にも肌にも内臓にも栄養が届きにくく、老廃物もよどむんだ。
自分なりにそう結論ずけ、飲酒はやめた。

今回の発表会後の打ち上げで、久しぶりにお酒を飲んで、やっぱりいかんな、と再確認した。
おなかがアルコールでものすごく疲れてしまう。普段飲まないから如実にわかる。炎症を起こすのだろうか。
もとの胃腸に戻るために3-4日はかかる。肌も生気がなくなる。しわしわになる。

酔うほどに飲んではいけないんだ。
舌で舐めるようにちょっとだけ飲むくらいでいいんだ。
お刺身に日本酒ならおちょこで二杯くらい。
肉や魚料理ならワインを一杯程度。
時間をかけてシャンパンを少し。
クラフトビール、黒ビールを小さなグラスで一杯。
頻度としては年間で4回くらい。
それくらいが私には適量。
酔うために飲むのではなく、お酒はその味を楽しむもの。その結論に落ち着く。

たばこは集中力が増すような気がして、執筆仕事が続いていた頃、なかなかやめられなかった。しかし、ある実業家が「知ってますか? 出産を考えているなら、喫煙はやめたほうがいいですよ。子供に影響が出た時、喫煙が原因だったかも、と後悔するのは嫌でしょう」と諭してくださった。「医者の友達が言っていたよ。子供に影響が出ているケースが多いんだってさ」と。それを機に止めた

子供は持たなかったけれど、30歳台でたばこをやめて本当に良かった。
たばこはおいしいが、なくても別に困らない。

健康な体を作る。健康でいられるように体をケアし、飲むもの、食べるものにも気を配る。
そうしていると自然と若見えする。若見せしなくても若見えするなんてめっちゃリーズナブル。マネーセーブ!

# by yoshi-aki2006 | 2024-04-07 22:05 | ライフスタイル | Comments(0)

 

ありがとう! 大阪講演閉幕 暖かいお声がけと差し入れに感謝!

大阪講演終了!
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東京は大荒れの天気だったので大阪はどうかな~と心配しましたが冬と春の入れ替わりの寒さを感じながらも、雨は降らずに晴れてくれました。さて、日中開催であるため、来場なさる方は限られますが、たくさんのお客様にご来場いただきまして心より感謝です!

また、ありがたかったのはyoutube「木村佳子チャンネル」をご覧くださっている方が増えていて、親子で「成果が上がっています!」とお声をかけてくださったり、「あの番組で銘柄を研究するようになって成果が上がってきている。淡路島にいったお土産渡したい」とか言ってくださる方がいらっしゃること。
とても励みになっています。ありがとうございます。
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いろんなお菓子を小分けにして「新幹線で食べてね」と渡してくださる方もありがたく、さっそく帰りにいただきました。飴やチョコ、クッキーなどがバランスよく袋に詰めてくださっていてお心使いが身に沁みます。家に帰ってきたら、あら、愛知県の名物、千春うなぎが届いていました。愛知県といえば、名古屋講演にご来場くださっていた投資家さんが大阪会場にも足を運んでくださっていて、本当にありがたいことです。

できるだけ仕事を選んで投資家さんとの信頼関係が崩れかねない案件はお断りしているのですが、その方針を貫いてきてよかったなと思います。
主催者も選ぶ。新聞社、取引所、商工会議所や日本証券業協会などの公的存在、地域密着型の手堅い証券会社さん、ラジオなどのメディアなどなら投資家さんも安心してセミナー会場に足を運ぶことができます。
投資家さんの名簿だけ欲しがるような短期決戦型のスポンサーさんはお断りする。
案件もなるべく受けない。

幸いにも仕事を選べるので、こちらも落ち着いてマイペース、マイチョイスで仕事ができます。

ところで、大阪は外国人だらけ。韓国、台湾などアジアの方や欧米系の方々の姿が街中のそこここに。定宿としていたホテルも取り壊されて新しく何かが建つようです。本格的に外国人を迎え入れる宿泊施設になるのかな。
大阪は古き良き建物を残したりして風情がありますが、この間まであった個人のお店が無くなっていたりして、世代も入れ替わっていく印象に何かちょっと寂しいなと感じました。
新陳代謝をエネルギーとしている株式市場を相手にしているわけだから、むべるかなではありますが・・・。

さて、書店では週刊エコノミストが発売になりました。
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詳細はこちら

相場観は「月刊木村佳子3月号」で申し上げた通り、3月は一服です。




私も暖かい懐の深い投資家さんに甘えずおごらず研究を続けねば!、と思います。


# by yoshi-aki2006 | 2024-03-14 15:45 | 感謝 | Comments(0)

 

「はったり」の上げ底と「野心」のエネルギーを持つ人持たない人の差

久しぶりの更新だ。
今日は誘われてスペインバルでのフラメンコ企画を観に行き、感じたことがトピック。

スペインバルでの舞踊企画はお客さんを持っている何名かの踊り手で構成される。バルはたいていの場合、70~100名くらい入れるスペースを持つ。ケーススタディの一例だが客はダンサーからショーチケットを買い、スペインパルでは飲食費を払う。ダンサーは舞台に参加する費用を企画者に払う。企画者はギター、カンテなどのアルティスタの費用、バルのレンタル料を引き、残りを自身のフィーとする。ダンサーはチケットを売った分、参加費を軽減でき、ノルマ以上にチケットを売った場合は多少のインカムを得る。
見に来るお客さんを確保できるダンサーを集めれば、企画者もそれなりに収益が得られる。

100名が4000円のチケット代金を払ったとすると40万円が踊り手によって集められる。
バルでは100名にドリンクや食事を課していることが多いから一人単価4000円として40万円。
合計、一晩のショーでバルの規模にもよるが80万円前後の売り上げとなる。
バル側はたくさんショー企画があればあるほど安定的収益が得られる。
なのでバル側も営業企画としてセールスするし、アルティスタやダンサーも自分の収入を増やすために主催者となって企画するわけだ。
客が呼べない出演者は最低限の参加費用を主催者に支払うことになるので、教室を運営して観客数を確保できる先生業の人が舞台に立つ機会が多い。来場者を毎回コンスタントに確保できるかできないかがダンサーとして舞台に立ち続けるポイントになる。
ちなみに教室を自前で持ち、企画催しを定期開催すれば多角的な収益源になる。

ダンサー側は舞台に立つことによって自身の経験も積め、チラシなどで名前が知られ、生徒を獲得することにもつながるから広告効果も見込める。

ただ、よい舞台を務めて「この人が出ているなら観に行こう」と名前で観客を呼べるダンサーになるにはこうした企画ものだけでなく、別の山の登り方も必要になる。

例えば海外で修業し、その際に有名なダンサーに学んだり、現地でソロで舞台に立つなど実績を積み、それをプロフィールに盛るなどして経歴に箔をつける。
ダンサーを撮影させたらピカ一と評判のセンスのいい写真家に撮ってもらい、それをホームページやチラシに使う映像によるイメージ戦略も必要だ。

海外有名ダンサーと日本でもコラボ公演する取り組みも有効である。
「××子が日本に呼んでくれる」「おれたちに仕事を作ってくれる」という実績を作っておけば話が実現しやすい。

こうしたことを継続的に行うにはビジネス感覚はマストだ。
ただ踊りがうまい踊りバカではだめなのである。

支援者がいれば踊りバカでも話は違ってくる。敏腕マネージャーが仕切ってくれるとか、才能を認めてタニマチが付くとか。
家族が団結してサポートしてくれるとか。

それには「この人のために何とかしてやろう」と思ってくれる人と出会える運も持ち合わせなければならない。

ただ、踊りが好きだから踊っているとか、自分の好きなように感情の赴くままにふるまって満足しているにとどまれば自己満足で終わる。大多数の人はそのカテゴリーに属し「素人」か「素人に毛が生えた程度」のダンサーで終わる。次第に年齢的にむつかしくなったり、金銭的に続かなくなっておしまい。お金と時間を費やして自分の好きなことをやっただけ。

株式投資や事業でも同じことがいえる。「自分が好きなようにやって楽しんで終わり」では消費に過ぎない。
株式投資の場合は山を引き寄せる成果をあげないとむなしいし、自分も家族も不幸になる。
事業の場合は商売が成り立って従業員の継続的雇用や地域社会、取引先、消費者に貢献することで社会的存在として命を与えられ、それが喜びとなって経営者に返ってくる。
一方通行だけではむなしくはかないのだ。

企画モノだけで舞台人として終了するかリサイタルが開けるくらいの存在になるかは踊りが決め手になるのではない。
踊りや外見の問題ではなく、ある種のド厚かましさや自分の能力以上に野心を持っていなければならないのだ。

さらにその時代に頑張っていた人というだけで終わらず、長く歴史に名前をとどめるには、多くのプロからリスペクトされること。
教室運営などビジネス面で成功している場合、ともすれば「社長が踊っている」踊りになってプロからのリスペクトは得にくい。むつかしいものなのだ。
ビジネス面で仕組みができた後はサポートしてくれる人に任せたほうがダンサーとして大きくなれる。
子供か夫か兄弟か。
あるいは苦楽を共にしてきた仲間か、知人か友人か。
しかし、ここにもむつかしさがある。芸能界でもよくあることだが、有名になればなるほど、関係者が金品を持ち逃げしたり、経理をごまかしていたりする。
子供とのトラブルならまだ、あきらめもつくが、上り詰めようとする人は子をなしていなかったりする。

さて、先般拝見した企画モノの舞台。
出演者の一人と縁あって喜んで観に行ったのだが、ご本人は「納得がいかない舞台で申し訳ない」という。そんなことはみじんも感じなかったが、踊り手として自分でいろいろと感じる部分があるのだろう。
「もっとこうしたかった」「もっと踊れた」と査定してしまうようだ。
その向上心が彼女をさらにさらにと導いていく。

一緒に彼女と踊ったという人も見に来ていて「踊り始めるとき、彼女のスイッチがオンになる瞬間がわかるのよ。そして、やはりすごいなとその時、改めて偉大さを感じた」といっていた。

そんな彼女は私には雲上の人。何か申し上げるような立場では全くないが、こんなに緻密に誠実に踊れる人なのにもっともっと轟く知名度があってしかるべしなのに何かがそれを阻害しているとするならば、「はったり」や「我こそは」という野心だろうと思う。

「ド厚かましい人」と言い換えることができる人種と彼女は遠い。
彼女を評して「天女様のような人」という人もいる。
時折、「おや、あなたはもっと攻めて踊らないのね」という厳しいキリリとした表情を見せることもあり、けして優しいだけのフニャ子でないことは確かだが、基本的には慈悲観音のような人柄だ。

「誰よりも私が一番」という自負心が野心となってド厚かましく「我こそは」と主張しない良さと物足りなさのどちらを取るか?  それを考える間にどうか、お年を召しませんように。ファンとしてはそれを願うばかりだ。

【木村佳子 講演会のお知らせ】
テーマは株式投資、新NISA、マネーマーケットの見通しになります
日本証券新聞社 3月13日大阪セミナー詳細






# by yoshi-aki2006 | 2024-03-11 00:53 | ビジネス | Comments(0)

 

相手が想定以上の大バカ者であった時、人はどう対処するのだろうか?

気をつけなければならないことがある。
それは賢い人ほど、問題解決をしようと意気込む人ほど、困っている人を助けてやりたいと思う人ほど気をつけなければならないことである。

以前、ある専門家の会での話。
私はその集まりで長らく、紅一点、役員待遇だった。
毎月、会合があり、30名近いおっさんたちと弁当を食べ、さあ、今月の議題は・・・・と会議が始まる。しかし、毎回3時間以上も大紛糾してしまうのだ。
こういう案はけしからん、だの
それはよく吟味してからにしなければならない、だの、
意見はもっともらしいが、要は気に入らない相手が出した案はつぶしたい、というマウンドがありありだった。
もう、やめたい・・・・。
何度もそう思ったが、なかなか、やめることができなかった。

それが20年近く続いたある日、おっさんAグループとBグループが完全に対立してしまった。
賢いおっさんはすぐ、役員をやめた。
角を立てずにやめたから、その点でもその人は賢い人だったと思う。後で考えると私もその人に倣えばよかった。

紅一点としてはどちらにもつかず、さらっとかわしているつもりだった。
後で考えるとこれがバカだった。

AB双方から呼び出され、呼び出した人の過去の栄光話と、それぞれの悪口を散々聞かされた。聞くと、「へーえ、それはいかんですよなあ」と思わせられる。が、どっちもどっちだ。

会合の後、流れで飲み会になることもあった。
あるおっさんはその席で大演説を始める。
そして、若手に必ずはっぱをかける。

私にも「木村君、君が頑張らんといかんのだ。ああいう連中はかくかくしかじかでダメなんだから」
みたいなことを延々と、とうとうというわけだ。話しているうちにその人は正論の旗印を高らかにかかげ、ナポレオンのような英雄になって酔いしれていく。もっともっと後になってからだが、世間にはこういう人がいることを知る。酒が入るとナポレオン。素面ではお母さんのエプロンに隠れてしまうタイプ。

そのうち、「当初の規約であった報酬以上にお手盛りしている輩がいてけしからん」という話が紛糾し、AがBを、BがAを訴える騒ぎに発展。悪口合戦のるつぼから火の粉がどんどん飛んできた。
その時の顛末は話が長くなるのでここでは割愛する。
現在、関係者の多くは鬼籍に入り、私も役職から離れて久しい。 会はいろんな経緯を経て今は正常化している。

さて、Aグループ、Bグループの一連の騒動で対立を煽る側に回っていた数名のおっさんたちがいた。その一人が飲み会で演説していたナポレオンさんである。
ナポレオンさんは、Aグループの××が気に入らん、Bグループの▽△はけしからぬ、などとしょっちゅう言っていた。
どの人も名だたる大会社のそれなりの地位についている。ナポレオンさんも知らない人がいない立派な会社の役員だった。
今よりずっと若かった私には、「あの天下の××企業の役職者。自分より見識の高い人」との思いが強かった。

その人がそういうのだから、それはけしからない話かもしれない。そう思っていた。特にBグループの●●がけしからないという。ただ、私たちに言われても困るんだよなあ、と聞くたびに思っていた。
あまりにおっしやるので、「一体、長年、何故、●●さんのことをそんな風におっしゃるのですか?」と畳み込んで聞いてみたことがある。
20年間、聞かされてきた、どうにも不可解な批判・・・・。
「飲み会の席でおっしゃっていてもらちがあきません。私たち若手に言われても、どうも解せません。詳しく何が許せないのか教えてください」

するとナポレオンさんは、「それはねえ、それはねえ」と言いよどんだ後、
かくかくしかじか、
かくかくしかじか、
なんだ! だからわしは●●が許せんのだ!!

酒の勢いもあったのだろう。20年目にしてようやく明かされた話。私はひっくり返るほど驚いた。
なに?
ねんごろになっていた銀座のホステスを●●さんに寝取られただと?
そんなこと自分で●●さんに言えばいいじゃないか。自分の代わりに言ってくれる人、かたきをとってくれる人材求めて20年てか?!

バカいってんじゃないよ!
そんな理由で研鑽している若手にはっぱをかけて、●●さんに引導を渡せと騒いでいたのかこのおっさんは!
そんなおっさんを尊敬して、一生懸命勉強してきた自分も若手も、ホントにかわいそうだ。
このナポレオン氏のホントを見抜けなかった私ってなんてバカ?

しばらくして、私はナポレオンさんに淡々とした内容の書状を送り、以降、会合には出なくなった。
ナポレオンさんは自分の子分に「こんなん、いわれた。ぼくちん、どーしたらいい?」とおっしやっていたとか。チーン。ご愁傷様。

ところでナポレオンさんはAB双方に薪をどんどんくべながら、どちらにもいい顔をしていた。そして、宿敵●●さんが駆逐されると戦で奮迅した同胞、後輩には知らん顔してAグループにすり寄っていたそうだ。すがすがしいほどのクズという言葉があるが、そんなのにかすりもしない真正クズだったんだなあ。

ところで、私は自分のバカと決別できただろうか。
バカと遭遇したら、ともかく離れる。そして相手が想像を絶するバカであった場合、自分の不明を恥じ、自分の内なるバカを毅然と一掃しなければならない。

情勢が落ち着いてきた頃、対立を煽っていたおっさん群にナポレオンさんにも薪をくべ火力強化をしていた人の顔がすーっと浮かび上がってきた。
この人は被害者のふりが上手で、対立が抜き差しならなくなるにつれ、目立たないように後ずさりしていたが、一連の騒動にかかわっていた弁護士が「一番の悪党はその黒幕さんだね。どうにもひどい輩だねえ」としみじみ言っていた。

この人から見たら、みんなみんな大バカ者に見えたことだろう。
たくさんの専門家が利用されてエネルギーをむなしいことに費やした。
ところで、この人は52才の時、本社の出世コースから外され、外に出された。それをものすごく悔しがっていた。

本店人事部には見えていたのだろうな。


# by yoshi-aki2006 | 2024-02-12 19:12 | ライフスタイル | Comments(1)

 

6時間待ちで診察10秒のクリニックが嫌いになった件

1年に数回、通っているクリニック。極度の貧血ではありながら、ほかでは「そのうち治る」となかなか処置してくれなかった根本原因の筋腫の手術をしていただき、その後はほぼ、薬をもらいに行くだけ。

それでも数年に一度は「血液ドック」を受けることがある。公的な健康診断でも受けられるが、書類が送られてくる時期が限られているし、そのクリニックでは「認知症リスクチェック」など新しいチェックも勧められたりする。
もちろん、患者に勧めたら互助的にクリニックにも大きなメリットがあるのだろう。

この数年、何の検査も受けておらず、どこか悪くなっているのではないかな、と気になっていた。医師に聞いてみたい症状もある。そこで薬をもらうだけでなく、診察もしてもらおうかな、と考えたのがことの始まりだ。
触診してもらい、10万円近い金額の血液ドックとMRIをすることになった。
紹介状をもらってビジネス街の中心にあるセンターに出向く。
MRIは10数年ぶりだ。しかもこちらは保険適用になる。
場所柄、運転手付きの車でドアも開けてもらう企業の役員風の人も混じり、朝の早くからセンターは大盛況。各クリニックから「MRI受けてらっしゃい」と私と同じように紹介された人たちなのだろう。システマテックに一人ずつさばかれて、どんどんトンネルの中に誘導され、検査が進行していく。

MRI検査は、強力な磁石と電波を使って、磁場を発生させたトンネル状の装置の中で、FMラジオなどで用いられている周波数の電波を体にあて、体の内部の断面をさまざまな方向から画像にする。

放射線を浴びるレントゲンとは違うけれど、私は磁気に敏感なせいか、今も頭がぼーっとしていて、その点では「あんなの受けなければよかった」と思う。
もし、疾患が見つかれば「やっておいてよかった」と思い直すのだろうか。
この結果がでるには10日ほどかかる。
クリニックにはその結果をもって、血液検査の値も同時に聞く、ということになっていた。
しかし、血液検査の結果は中3日くらいで出るので一刻も早く知りたい。
そこで、前倒しで、クリニックを訪ねた。もちろん予約の上だ。

すると、土曜日ということもあって、いつもにも増して患者が待合室にあふれている。しかも若い子ばっかりだ。細くすらーっとした女性が多い。世代が若返ったんだな。いや、曜日のせいかな。
みんなそんなに婦人科系で気になることを抱えているのか? ピルをもらうのだろうか。受付でパッチをもらう人、呼ばれて診察台に乗る人。一体どこが悪いんだろう? 

そんなことを考えながら待つこと数時間・・・・・。あまりに呼ばれないので確定申告に必要な一年分の数字を電卓で打ち終わる。習い事の振り付けの確認もした。
まあ、家にいたとて、猫と遊んだり、だらだらして後回しになりがちな作業もできたのだから、あきらめもつくが・・・・。

6時間をゆうに過ぎた頃、ようやく名前を呼ばれた。
11時半にクリニックに着いて、呼ばれたのが17;30だ。飲まず食わずだったのでダイエットには良かったのかも。
待合室には私ともう一人の女性だけ。一体、なんでこんなに待たされるのだろう?
診察が伴わないからなのか?

診察室に通されても一人しかいない看板先生は忙しそうにバタバタしている。看護師らが背後を何度も何度も風のように通り過ぎる。
やっと先生がツールに座ったと思ったら、「どこも悪いところなし」。
ほぼ、それで終わり。
いろいろ説明を聞きたい。質問すると「勝手にしゃべらないでー」「ちょっとまってー」とか言って患者を見もせずモニターのデータに目をやっている。
「先生、私、この点が気になるのでそこが衰えているのではないかと思うんですけど」というと「決めつけないで―、自己診断禁物ー」と制される。だから診てもらいに来ているんだろうが、よっ、センセイ!

しかも、私が知りたかった項目は血液ドックの検査内容には入っていないことが判明。
「全部、検査する」と聞いていたのに、まったく拍子抜けだ。

ベテラン看護士がサポートに来るとセンセイはすぐにどっかへ消えてしまった。6時間待って、診察10秒。
今日は結果だけ知らせる儲からん患者という位置付けなのかな。いや、そういうことだろう。今日の会計は580円だったもん。

「また4月くらいに血液検査にいらっしゃい。今度はその部分も項目に入れましょう」と言われたが、うーん。もう行きたくないかな。
近所の空いている内科に行くほうがいい。
うん、そうしよう。

それにしても。日本の国会議員だけでなく、お医者さんもいろんな意味で考えさせられる。
医師は一人一人の命と健康をサポートする技術者だ。しかし、クリニックを経営する場合は経営者、多様な患者を相手にするサービス業でもある。
看板先生ひとりのクリニックではそのバランスがむつかしいのだろう。

コロナが契機かそうでないかはわからないが、注射するのしないのでものすごく潤ったクリニックがある一方、大変なところもあると聞く。いずれにしても医業とカネの問題は今の日本の国会議員の症状と似て、なにやらザワザワ、ザラザラしている印象だ。

まったくなあ。

すがすがしいニッポン人としみじみそんな想いを共有したいものだと思った。











# by yoshi-aki2006 | 2024-02-11 07:12 | 事象観察 | Comments(2)