ボケ家系の教訓

母方でボケた人はいないが、父方はボケ系統だ。
父の姉もボケたし父もボケた。
本人は笑ってごまかしていたけど65歳くらいから徐々に父はボケていたんだ、と今ならわかる。

「あ、うちのお父さん、ちょっとおかしいな」と私が気が付いたのは実家に電話して「FAX送って」と電話口に出た父に頼んだ時、ため息をついて最終的に「よくわからん」と言葉を返してきた時だった。

「えっ? あんなに機械に強かったのに・・・・」と私は驚いた。地図や模型作り、お城の設計図などにも興味が強く、簡単な電気器具の不具合などたちまち直してくれていた父なのに、FAXが送れなくなっている!

あの時の父は70歳代の後半だったか。
父の姉、叔母は「やりて」で通っていて、一等地で店舗経営もしたし、不動産の賃貸収入が月収ベースで何百万円もあり、左団扇な老後を迎えていた。
先を読む叔母は「いずれボケる!」と自戒してあらゆるボケ防止体制を敷いていた。
食事にも気を付け、体も動かし、新たな知識を取りこむべく国内外によく旅行していた。
ケンカも強く、手八丁口八丁といった怪婆だった。
が、奮闘むなしくまだらにぼけて、90の声を聞かずに逝った。
ボケてる間に財産は一人娘の嫁ぎ先の人々によって、いい具合にされてしまったようだ。

恐ろしいことに私は父とこの叔母にとても良く似ている!

わお! 待ち構えるボケ人生!!

ボケないように奮闘はしようと思うがいずれはボケそうだ・・・。

一方、母方は長生きでまずボケた人はいない。
何がその原因だろうか。
浜育ちなためか海草が大好き。わかめを常食。魚もよく食べる。みかん、日本茶が好き。
そして手を動かす。
趣味がパッチワークだったり、刺繍だったり。

小さなころ、太陽の下を何キロも歩いて学校に通っていた。
記憶力が抜群で、細かいことまでよく覚えている。
メガネの人が少ない。目がよく見える。

願わくば私もこの母方のDNAに連なりたい。

が、父方にならないように今更、対策しても遅いかもと思ったり、何もしないよりましかも、と思ったりもする。

このところ、勝負事(FX)では負け知らず(言い過ぎ 盛りすぎ (;^_^A)なので、にんまりしてしまうけれど、いい間違いは多い。
相手の名前、松村さんを「村松さん」、声が似ている北野さんを「西川さん」と呼んでいたり、割り算を間違えたり。金融緩和と金利で引き締めを言い違えたり(死活問題~ (;^_^A)
そういう間違いがあると激しく落ち込む。

でもボケたら、それも気にならなくなるかも。
悩みから解放され、ただただほほける・・・。その未来もいいかも。ストレスフリーって世界がボケかもと都合よく解釈する(;^_^A

理想は、周囲の人を困らせず、ただただ、幸せにほほけて生きること。それができる環境を今から整えておきたいものだ。

さて、今日の動画はこんなテーマ!



ボケてる暇はない!! お仕事お仕事~
ということで次の講演予定は以下の通りです。
【木村佳子の講演予定】
●6月27日札幌  日本証券新聞社主催 札幌駅からすぐの自治会館
●6月30日東京  日本証券新聞社主催
●7月9日   新居浜商工会議所主催  新居浜リイガロイヤルホテル  
●7月16日   神奈川FP スタディグループ主催
●8月26日   洲本  日本証券新聞社主催

★日本証券新聞社主催分は同社のサイトでネットでのお申込み、もしくは【ご参加希望の開催地】をご指定の上、FAX(03-3662-0361)でのお申込みも可能です。

# by yoshi-aki2006 | 2022-05-12 01:15 | シンキング | Comments(0)  

「老後は冬山登山なみ」と想定することにした

も~、イヤ!
自分の家もかたずけられないのに二軒分の老親宅まで管理し、かたずけなくてはならない状態に突入して二年目。

人の考えでそろえられたモノは存在理由がそもそもよくわからない。 だけど、まだきれいなものも多く、捨てるには忍びない。
「どうしようか?」と考える機会が多いため、脳疲労が・・・。
加えて運んだり届けたり、かたずけたりも続くため肉体疲労、時間貧乏になって生活の質が劣化・・・。

老親Bの住まいは庭管理も侮れない。自然が豊かなのはいいのだけど、土地の広さに比例して虫や雑草もすごい。だだっ広いということは日差しを遮るものもないということで、木、雑草対策は日差しとの戦いもあって過酷。

木の伸びは「えーーーーっ」と驚くほど速く、4月、5月は魔法のように若芽が伸び、枝も張る。
おのずと剪定が必要になる。
自然のままの伸び放題ではさすがに風情がいまいちなので、植木屋さんにお願いしたい。しかし、かなりな費用がかかるので頭痛の種だ。

昭和の親戚はその費用を惜しんで脚立から落ち、寝たきりになった挙句、ボケ、しかも長生きだったからたいがいにしておかなくてはならないのだが、やはり、私にもその昭和感覚が色濃く残っており、ついつい剪定ばさみを持って木々をめぐる。西の木、東の木、南の木、北の木、そして雑草雑草雑草・・・・。

すると時には枝々からぽとっと虫が頭髪に落ちてきたりきたりなトホホな展開にも・・・・。そんな時間ふと、今後のことをしみじみ考える。

そこで、今日は50歳、60歳の人にとっての老後について。

一応、FPの国家資格や協会の上級資格を取ったりしたので、老後資金問題にはそれなりに接することが多かった。
専門家でない人たちも自身や親兄弟の老後資金問題については折々に研究されていることだろう。

しかし、50歳、60歳が想定する老後イメージは甘い。80、90歳も通過中の老親を見てもわかるようにたいがいは想定外になる。
なので「知識と現実は別物。現実問題をよく検討することが何より大切だ」と自戒する必要があると思う。

例えば、私は親の家などを全部売却し、都心に150㎡程度の不動産の買い替えを検討していたけれど、
「ちょっと楽観的過ぎるな~」と思うようになった。買い替えたとして一体そこに何年、どんなふうに住む?
人間100歳まで生きる時代。
しかも、最後の30年はどのような状態になっているかわからない。
家族も自分も頭も心も体も健康とは限らない。
家族全員がボケていたら一体どうするんだろう。

そんな問題が発生するかもしれないのに、グレードアップマンションを物色している場合ではないよなー。
老後をどんなふうにイメージするかは人それぞれだけど、
私は考えを改め「老後は冬山登山なみ」と想定することにした。

老後2000万円必要という話はその前提が生活費として5万円は必要ということから12か月で60万円。
これが10年続けば600万円。30年で1800万円。
その延長で出てきた金額なので、介護などの費用とは別モノ。

介護施設に入る費用などを準備しておくことを想定すると、とてもそんな金額では足りない。
ピンキリですが
高級な施設では入所金が数千万~億単位のところもある。平均的な施設でも数百万の入所費に加え、月々の費用が必要。
仮に年金に上乗せして毎月20万円前後を足すとしたら20万円×12か月で年240万円。10年なら2400万円。30年なら7200万円(物価上昇率など考慮しないで計算)
夫婦なら億単位のお金が必要になるわけだ。

いやいや、これからの冬山登山を今からよく考えておく必要あり、という結論に。

夢の老後を送る人もいれば悪夢の老後を迎える人もいる。
人それぞれではあるけれど、甘い登山計画では遭難しそう。

老後30年は冬山登山。浮かれていてはだめなのだ。

ところで、残念な報道が最近相次ぐ。
ついこの間まで、ダンディな姿をメディアで観ていたのに、慶応大学教授の中山俊宏さんが55歳で、
素敵なシニアとしてこれから先も活躍が期待されていた俳優の渡辺裕之さんが66歳で。
そんなに早く逝ってしまうのも周囲の方たちにとってまさに想定外のことだろう。

50-60歳台でも生まれて以来の登山が続いていて、それが70、80、90、100歳もと死ぬまで続くんだ。死んでからさえ、別の旅が続くんだ。

うんと若い時には、生まれる前からつづく営みや生まれてからの道のり、その果てしない過酷な登山に気がつかないだけなんだ。

ふと、登山の過酷さに気がつくのが60歳台なのかもしれない。
気持ちを引き締めなくては。

ということで月曜日の動画は以下の内容です♬





# by yoshi-aki2006 | 2022-05-10 17:37 | 日々雑感 | Comments(0)  

NHK「東京ブラックホール」を見て~バブル期を理解する手がかり

バブル期を理解する手かがりの一つとしてNHK「東京ブラックホール」を面白く見た。



映像で「懐かしいな」と思ったのは整備される前の地下鉄の駅。
「そうそう、あんなだった」と当時を思い出した。

そして切符切りの人の姿。押し寄せる電車利用者を当時はまだ改札に立つ通称「切符切り」という業務で人がこなしていた。
それは見事な超人的な技だった。
ある意味、あれが日本人の器用さ、賢さの源泉だったと思う。
切符をいかに早く切ってもらうか。客の側の技術も毎朝のように磨かれたし、改札に立つ人もそのあたりは心得たものだった。

それが今は自動改札。スマホやスイカ、イコカ、パスモなどですいすい行く。
改札という関門に無関心というか、特に注意せずにスルーしていく。

ところで、これは施政者にとって、政策実現のために利用できる仕掛けとして大きなヒントを与えている。そして、利用者は日々、パブロフの犬のようにレッスンを続けさせられている。
自動化は単に便利とか、時短とか、省エネとか人件費抑制だけでなく、大勢の人の利便性を高めるという表向きの、賛成を取り付けやすい取り組み以外に「便利さによって人を飼いならす」だったり「大事な通過点を意識させない」という面を持つ。

「だいぶん飼いならされちゃったよな」とバブル期と対比して、今を想った。
バブル期にはラストサムライがいた。バブル崩壊はそのラストサムライを消し去る装置としても機能した。


ところでNHK「東京ブラックホール」の中で紹介された女性がいた。
魔性の女という(おそらく本人もそう呼ばれるメリットは十分わかっているだろう)KAさん(番組では本名で登場されていた)。

華やぎのあるきれいな女性で、昔の写真などで特に目を引いたのは足の美しさだった。
六本木などの繁華街に繰り出し、バブル紳士たちと知り合い、
20歳のころ、地上げ屋として名をはせた中高年の実業家を友達の母親から奪って愛人になったという。マスコミでもはやされた。
20歳の身で父親以上の年齢の男性の愛人になれること自体、どんな家庭に育ち、どのような出自だったんだろうと想像してしまう。

そして、芸能界の個性的な人たち、野心家、絵図描きらが集まるレストラン経営者の三番の妻になり、子供をもうけたものの、数年後に離婚したという。

バブル期には濡れ手に粟状態で大金をつかんだ男性がたくさんいたし、クラブホステスなどにはそうした男性の愛人となって金目の物を貢がせた女性たちが少なからずいた。マンションやベンツをプレゼントされたり、高価な宝石、ブランド品を買い与えられた人たち。

KA子さんもいわば、その一人。ただ、「上がり方」がレストラン経営者であり芸能界などに一定の影響力を有した男性との結婚で、子をなしたことが人目を引いた。

しかし、45歳の時(今から10年位前になるようだ)、熟女クラブのホステスとして働くことになった、とインタビューなどで語られていることを知り、
「そこなんだよなあ」とちょっと引っ掛かった。

なぜ、また、そういう場所に身を置くんだろう? と。
当時から10年は経つ今はどうなさっているかわからない。
が、会社を興して女社長としてバリバリ仕事しているだとか、何らかの自立した姿を拝見できれば、すがすがしかったんだけど、どうしてまた、富と地位を持つ男性と知り合えることを求めるかのように水商売の前線に45歳(当時)の身空で身を置いたんだろう?と。
そこがひっかかり、せっかくの物語に水を差す。

女性は45歳から55歳くらいまでならなおも「色香」という点で、それを武器に使いたいと思うなら可能だ。
が、それを武器に使う発想を私は貧しい、と感じる。

せっかくの成功物語を45歳の時に「がっかりさせる」ように使ってはならなかった。

キレイで色香も十分ある女性がそれに頼らず、そんなものは自分の要素のごくごく一部である、といわんばかりの豊かな人生を送っていることが自他ともに望ましい、という知性が成熟とともに人といわず、世に広がれば、バブル期に対しても、バブルを嗤う人たちにも「負け感」なく平然と接せられると思う。

今日の方があの日より豊かである、と人々が、そして自分もが思えるように今日を過ごしたい。
そう思った。

# by yoshi-aki2006 | 2022-05-06 10:23 | 事象観察 | Comments(0)  

教室運営のコツ 生徒ファーストでないと教室はつぶれる!

複数の知り合いが様々な教室を運営していますが、経営はなかなか大変だといいます。
何しろ少子高齢化が深刻。
子供が少なくなっている上、受験を契機にお稽古事を卒業してしまう。
では「大人の生徒さん」はどうかというと、マダムたちの高齢化が進み、お教室に通えなくなり、こちらもやめていく。

昭和のお金持ち、いわゆる「サラリーマン、公務員資産家」のマダムたちは夫の年金が潤沢で家計にゆとりがあるから、教室としてはぜひとも通ってほしいわけですが、寄る年波には勝てない。それに夫が亡くなれば年金もぐっと減るわけで、財布のひもが堅くなる。

ダンス、舞踊系のみならず書道、絵画なども生徒数が減りぎみ、といいます。
そこに持ってきて、競合が増加。
日本の豊かさはなんだかんだ言っても2000年くらいまでは保てていたので当時20歳前後の人たちに今、先生が務まるキャリアを積んでいる人たちが出てきている。

構造的に教えたい人が増え、習う人が減っている状態だから、ますます教室運営が困難になるわけですね。

しかも、スタジオなどの場所代、事務作業、受付などを頼む場合の人件費などは値上がり傾向。
そんな中、月謝は値上げできない。
かつて、中間所得層の年収は少なくても600万。800-1500万プレーヤーがメイン層だった。しかし、今は正規の会社員ですら年収400万円台が多くなっている。
すると趣味のお稽古ごとに月々、高額のお月謝を払える家計は少ない。
子供には将来の年収に直結する語学や受験塾という判断をする親御の気持ちもある。

趣味のお教室には運営難がこれでもかとあって、ついには廃業に追い込まれてしまうわけです。
知り合いのA子さんも苦難と格闘の末、ついに今年三月末で教室をたたんでしまいました。
「コロナが決定的ダメージだった」とはいいますが、「家賃などの運営費で毎月、かなり厳しかったうえに自分の将来も見据えて今、やめるしかないと思った」といいます。
A子さんは気持ちを切り替えて、働くことにしたそうです。
気がつけばA子さんも60歳を過ぎ、「これからの人生を考えると蓄えがないまま、人生100年時代を乗り切っていけるのかどうか、ものすごく不安になった」というのです。
「今は体が動くけれど、80歳台、90歳台、100歳台を迎えたとして自分はいったいどこでどういう暮らし方をしているのか、コロナで通う生徒が途絶える中で考えるようになった」そうです。

一番のリスクは高齢になって、認知症になった場合。
家族がいないA子さん。兄弟も高齢化が進み、あてにはできない。
一人、施設に入ることになったらそれなりの費用が掛かります。

A子さんの知り合いの中には健康なうちから、各施設の見学に行って比較検討している用意周到な人もいて、「それに比べて、私は自分の教室運営に負われ、蓄えもなく、将来設計もできていない。生徒も減る中、急に不安になった」と。

「先生業」で長年やってきた人がパートで働くって、気持ちの切り替えが大変だと思いますが、それでも、将来の不安に備えることに目を向けて頑張っていこうというA子さんにはエールを送りたいなと思いました。

長年、教室を運営してきたA子さん。これからお教室を開きたいと思っている人へのヒントになるお話もたくさん聞きましたのでシェアしますね。

教室運営で一番大切なのは通ってくれる生徒の確保。
そのせっかくの生徒さんは思いがけないことでやめていく。
表向きの事情とは違って本音は何かに嫌気がさしてやめていく。その不満の代表的なものには、

①そもそも、教室としての機能が不十分
・・・休んだ場合の振替、通いやすい時間帯でのレッスン、緊急連絡網、スケジュールなどが確立されていない。
クラス・スケジュールがホームページなどのどこをみたらいいかわかりにくい

②お金面
・・・いろんな名目での突然の徴収をしてはいけない。家計管理面で生徒の段取りが狂う教室ファーストな経営がなされていると受け止められる。徴収日時がバラバラでわかりにくいのもNG。
料金体系が生徒にわからない。やたら金銭徴収のペーパーを配り、都度都度のお金とペーパーの管理が大変な状態も×。バラバラな都度都度の徴収は教室ファーストであり、生徒ファーストではない。まず最初に生徒に「何にいくら必要になるか」を明らかに。
       
教室や先生が昭和の金銭感覚から抜け切れないと「失われた20年組」からはしらけられる。
「こんなセレブな人たちととても一緒にはやっていけない!」とイベントが終わった当日にやめていった子育て中の生徒がいた。生徒の中には高額出費をものともしない人もいるが、そういう人たちは総人口のわずか数%であり、大多数ではない。どの所得層に目を向けるか、教室運営者はよくよく考えるべき。
ちなみに日舞は貸衣装代と各所へのお礼、来場者へのお弁当手配、社交ダンスやバレエなどはプロ男性と組む費用などかなりの支出が伴う。

③教え方
・・・せっかく途中まで進んだレッスンを先生の気分で「やっぱり、これ、やめよう」など、先生ファーストすぎる指導がある。ある生徒は「これが、あ、この先生にならうのやめよと思ったきっかけ」といいます。
生徒にむつかしいことをさせ、体を壊させたり、仕事を抱えて通っている生徒の負担になりすぎる指導がある。
振り付けが難しくて、毎回、生徒は振り付けを消化するのに精いっぱいという状態で疲れて終わってしまう。
「普段は主婦として地味に生活しているのに、派手な衣装を着て、舞台で踊るなんて異次元。はまっちゃったー」という50~70歳代主婦もいた。
プロになるわけではない生徒にとって何がベストなのか、考えた教え方が必要。

④人間関係
・・・生徒が接する人(先生、事務方、代教、生徒同士)などで、意地悪をされたり、好き嫌いが露骨だったり、相性面で会わない場合、生徒はやめていく
「どこの教室にもいるんですよ」と聞くが、「その人がいるがために雰囲気が悪くなる」。しかし、そういう生徒ほど、上手に表の顔と裏の顔を使い分け、上にはこびて気に入られようとするため、上からは見えにくい。そうしたタイプの人材は一定期間、教室に粘着するため、なぜか生徒が続かず、やめていき、教室運営を困難にさせる。
一人の人が「少なくとも20人くらいの生徒退所」の原因になっている場合もある。先生、教室側はそういう困った人材をどうするかが問われる。
先生にとって都合がいい人材であっても生徒には嫌がられている人はいないか。
そのクラスだけ生徒の定着率が悪いのはなぜか? 理由があるはず。

⑤習いたいものがない
・・・先生ファーストで提供するレッスン内容で生徒の不満が渦巻くことがある。月謝を払って通ってくる生徒ファーストに配慮する場合、生徒が望んでいる内容にして不満がたまらないようにすることが大切。
B子さんはベリーダンスの次のレッスンを決める時、3種類くらいの演目を提案し、生徒の多数決を取ってレッスン内容を決めていた。これはマダムたちには好評だった。

⑥先生
トップの安定度
・・・発表会など大きなイベント前にヒステリー傾向になる先生もいれば、自分の気に入った人で回りを固め、全体が見えなくなる先生もいる。おろおろが止まらず、生徒に「大丈夫ですよ」と言ってもらわないといけない先生も。いずれの先生もお教室をたたんだ。当たり前だけどトップがこうだと生徒は困る。

生徒が「体調が悪く休みたい」などの連絡をしたときなどに生徒に「お体をお大事になさってください」といった言葉が一切なく、運営のルールを伝える返信などで対応した先生は「その生徒が生涯、自分のステージを見に来てくれる可能性」まで失っている。退所した生徒は10人の知り合いに「こんな対応をされた」などを話し、10人はさらに10人に話すため鼠算式に評判が知れ渡る。まわりまわってステージチケットも売れなくなるし、生徒も集まりにくくなる。その先生も教室を閉めた。

A子さんは教室をたたんでから、気がついたことがあるといいます。
「生徒が離れていった理由には私の在り方もあったかもね。オワコンなのに、偉そうに見えていたかもしれない。自分では気がつかなかったけれど、どこか先生ファーストだったかもしれない。アーテイストとしての在り方と商行為としての先生業の使い分けができていなかった。生徒から見るとオワコンとしてアーテイストとしての魅力が低下、なのに商行為としての教室運営で生徒ファーストを意識しないまま、指導していたのかもしれない。生徒からすればなんだよ、というのがあったのかもね」

なかなか深い話です。社長業でも当てはまることですが、自分のオワコン(魅力の低下)は自分にはわからない。しかし、どんな人もオワコンになる。理由は次から次へと時は進み、新しい世代が出てくるからです。
芸能人、スポーツ選手などの世界では世代交代はわかりやすいですが、どんな世界でもオワコンと背中合わせ。しかし、自分のオワコン度は自分には見えない。

さて、何はともあれ、習い事はお金と時間と体という自分の資源を投入して過ごす場所。
ある程度、妥当な生徒ファーストが通らないなら場所を選び直すのも一法。

幸い、私の通っている習い事のお教室はすこぶる快適。笑顔が絶えない楽しいレッスンが適正価格で受けられていてラッキーだと思っています♪
というわけで、習い事も仕事も頑張っていこうと思います!
月刊木村佳子5月号をアップしました! ぜひ、ごらんくださいね♬





# by yoshi-aki2006 | 2022-05-04 04:15 | シンキング | Comments(0)  

「その人」には訳がある!

連休の入り口というのに、悪天候と知床遊覧船の傷ましい事故の報道が相次ぎ、心が晴れ晴れしませんね。
観光業の方、飲食店の方たちも気の毒です。感染症以降、延々と苦難の日々にさらされている、と思います。

そんな中、「お家でプチ掃除」という過ごし方を選ぶ人も多く、どちらかというと私もそのクチです。
習い事の発表会が続くので、出張のないこの月は掃除と生活環境を整えること、体を鍛えることに専念しようと思います。

ところで、体調に影響していると思えるのはマスク生活によるばい菌のまん延です。
マスクをしていることによって逆に自己呼吸による口腔環境は悪くなっているのではないでしょうか。
なんで黙って道を歩いている時までこの暑い時期にマスクなのかな、とかねがね疑問なのですが、その点について証拠データを示して語ってくださる専門家はいないですね。
ばい菌にさらされ続けると敗血症になって命にもかかわるのではないかしら。
低酸素呼吸で頭にも影響がありそう、とも思うのですが。

さて、今日の表題の「その人」には訳があるについて。
ある程度、経験を積んだ大人になったからか、「その人」がどうして出来上がってきたのか、よくよく観察し、考えるようになりました。

皆それぞれにいろいろな事情があってここまで育って、生きてきた結果、「その人」になっている。
私もそうですね。
自分が出来上がる環境によって「今の自分」になっている。
自分を形作っている一つの大きな要素といえば「身近な大人」、例えば親の影響も大きいと思います。
加えて、生きてきた過程での経験値(経験知ともいえます)。失敗体験、成功体験など。
こういう時、失敗し、こういう時、うまくいったという経験値(経験知)。
失敗したとき、それは自分としてどう処理してきたのか。「次こそ、こうならない」「こんなの、私としては受け入れられない。次こそは失敗しない」という糧にしただろうか。
うまくいったときは恥ずかしくない「うまくいきかた」だったろうか。
そして、なぜ、その時、そう思ったのだろうかとか。

マザーテレサの言葉に
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

という有名なものがあります。いろんなシーンで「その人」がはっする第一声に耳を傾けるといいですね。その第一声に「その人」が如実に表れていると思います。

例えば。ずいぶん昔の話になりますが、ある時のこと。
出張の今まさに公共交通機関に乗らなければならないようなときに、それを知っている立場の人から、
「今いいですか~」とのんびりした声で携帯に電話がかかってくるようなことが三回続きました。
さすがに困って、「ごめんなさい。出張の当日の朝は特に忙しいので、急用でなければメールやショートメールにしてもらえません?」とお願いしました。

お願いする前には、「出張の朝は一分一秒との格闘です。特に今回は、分速で処理すべき案件が立て続けにありました」と詳細を伝えることで、状況を婉曲に伝えたのですが、返ってきたのは「お疲れ様でーす」という回答。
ガチョーン。
「お疲れ様じゃないだろーよ。緊急でもないのにその一番忙しいときに知っていながら電話してすみませんでした、でしょうよ」と。しかし、これが、通じないんですね。衝撃でした。

察っしてもらいたいという期待は裏切られ、「また、やられてはたまらん」と思い、ちゃんとお願いするしかないな、となったわけです。

すると、「実はこういう事情で」とその人固有の事情を延々と説明したメールが返ってきました。「事情があったからそうしていたわけであって、自分は悪くない」
と受け取られかねない。

これにも私はしばし脱力して、「そこか?」「それか?」と思いました。

いやいや、違うだろう。「忙しい朝と知りながら、これまで何度か、その当日に急用でもないのにのんびり電話したり、待ち合わせ場所をきちんと示さなかったり、仕事のまさに直前に急にいろいろ頼んだり、いろいろ段取り狂わせなことをやらかして、すみませんでした!」と謝罪し、「改善させます」との「明日」を示してくれることが大切だろうよ、と思いました。

「明日から二度と他者に迷惑なことはしません」と示すことが大事なのであって、言い訳がましい説明を延々と説明されても、わかってあげる気にはなれない。こちらは迷惑行為をやめてもらうことが目的。「個別事情によってはまたやります」と言っているように聞こえ、共感できない。

「なぜ、この人はこうなんだろう?」と考える日が続き、「よほど、かわいがられて育ってきた人なんだろうな」と思いました。意外と実のお母さんは強圧的でほったらかされて、おばあちゃんなどからは、いたせり尽くせりで育てられたのではないだろうか? どこか人恋しくて寂しくて実母にリベンジの気持ちや吐露も果たせていないのかな、と。
可愛らしい容貌の持ち主だから、周囲の人から激怒されるような環境には育ってこなかったんだろうなあ、とも。
ま、「そういう人」になってしまっているため、本人が気が付いて直すしかないわけで、もう言わない、言っても仕方がない、と思いました。

で、過去に自分も人にそんなことをしたことがあったっけなあ・・・・と振り返ってみました。すると!
私もやってしまってましたね。知り合いが転社したその日に大した用事でもないのに電話してしまったことが一度ありました。
なんであんなことをしたんだろう?
転社したしょっぱなの日に急用でもないのに、なんで電話したんだろう?

思い返すとその知り合いは丁寧に新しい連絡先を書き込んだ転社のあいさつ状をくれて、年賀状だけでなく、いつも、親しげによく連絡をくれていました。
そのベースがあったので、こちらは「親しいつもり」「気安く話せる相手」「相手はこちらに対してウエルカムなんだ」という思い込みをしてしまっていたわけですね。

で、ついうっかり、大した用事でもないのに、その日でなくてもいいのに、連絡してしまった。
後で考えると、その人のことを本当に思うなら、その日に電話するなんてありえないですよね。
転社初日にいくら何でもまずいだろ、常識で考えたらわかること。

なんでしてしまったのか? 「相手への思いやりをかいていた」「想像力がなさ過ぎた」と思います。想像力がない、というのは「バカ」ってことです。
ああ、申し訳なかったな!

可愛らしい言い訳さんのおかげで過去の至らない自分に気が付くことができたんですね。それはそれで感謝だなと思います。
それにしても、宇宙の法則というか、人にしたことはいつか自分に還ってくると思います。この因果律こそ、私は宇宙の法則だな、と考えます。
誰であれ、今の自分はこれまでしてきたことの因果の集積です。
素晴らしいことに、それを因果律で知る手がかりを与えられている。

可愛らしい言い訳さんは20年前の私を教えに来たヒントさんでもあったわけです。

さて、マザー・テレサの名言は次の文脈で発せられています。
折々に読み返してみるといろいろなヒントになります。

……………マザー・テレサ 地球の名言より…………

私たちは、この世で
大きいことはできません。

小さなことを
大きな愛をもって
行うだけです。

世界で一番
恐ろしい病気は、
孤独です。

もし貧しい人々が
飢え死にするとしたら、

それは神がその人たちを
愛していないからではなく、

あなたが、そして私が
与えなかったからです。

わたしたち一人一人が、
自分の玄関の前を
掃除するだけで、

全世界は、
きれいになるでしょう。

平和は、
笑顔からはじまります。

導いてくれる人を
待っていてはいけません。

あなたが人々を
導いていくのです。

あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて
人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し、
微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです。

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

大切なのは、
どれだけたくさんの
ことをしたかではなく、

どれだけ心を
込めたかです。

今、この瞬間を
幸せでいましょう。
それで十分です。

その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているもの
すべてであって、

他には何も
いらないのです。

私にできて
あなたにはできないもあり、

あなたにできて
私にはできないこともあります。

だから、ともに力を合わせれば、
素晴らしいことができるのです。

(転載ここまで)
http://earth-words.org/archives/2184

# by yoshi-aki2006 | 2022-04-30 02:10 | シンキング | Comments(0)